「兄さん。この子は、私の娘ではありません」 昭和21年、引揚船から降りた母は、港で突然そう言った。 右手には、11歳ほどの少女の手を握っていた。 少女は青ざめ、母の袖へしがみついた。 「お母さん……?」 母はその場にしゃがみ、少女の肩を抱いた。 「ごめんね、春恵」 しかし日本へ届いた葉書には、母が連れ帰るのは《娘の文子》だと書かれていた。 では、文子はどこへ消えたのか。 その夜、母は兄夫婦の前で、引揚げ途中に起きたことを語り始めた。 「暗闇で一度だけ、娘の手を離してしまったの」
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