"昭和21年、港で「娘ではない」と言った母" 第10話
妙子はを見た。
「でも違った」
文子もも黙って聞いている。
「文子は、私がんだ娘」
妙子は文子のを取った。
「は、私がきて帰る途でを握った子」
今度はのを取る。
「同じではない」
のを握った。
「同じにする必もない」
の目が潤んだ。
「でも、どっちも事だった」
港からの帰り。
が妙子のを握った。
老になった妙子のと、を過ぎたの。
昔とはきさが逆になっている。
「お母さん」
「何?」
「あの、私のを掴んでくれてありがとう」
妙子は笑った。
「私の方よ」
「え?」
「あなたがをさなかったから、本まで帰ってこられたの」
の目に涙が浮かんだ。
文子が反対側から妙子の腕を取った。
「じゃあ今は私も」
「何が?」
「をさない」
妙子はを見た。
昭21。
の娘のを失った。
そして別の女のを掴んだ。
それが正しかったのか。
偶然だったのか。
何も考え続けた。
けれど最には、どちらでもよくなった。
は混乱ので、正しいばかりを掴めるわけではない。
違えて掴んだでも、
さずに歩いたが、
やがて名のつかない切なつながりになることがある。
妙子はのを握った。
そして昭21の自分が言えなかった言葉の続きを、ので静かににした。
《この子は、私の娘ではありません》
――でも、
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だからといって、
私の切な子ではないというではありません。
血がつながっていなくても、
戸籍に同じ姓が並ばなくても、
同じで泣き、
同じ握り飯を分け、
夜に互いのを確かめながらを渡ったは消えない。
族とは、
最初からつの形で与えられるものばかりではない。
失ったものの隣で、
しくまれることもある。
そして妙子は、そのことをるまでにいを必とした。
あの、博港でを「娘ではない」と否定したのは、
を族からすためではなかった。
逆だった。
というの女を、
誰かの代わりにせず、
のまま守るためだった。
妙子はから吹くに目を細めた。
には文子。
には。
今度はどちらのもさない。
しかし昔のように、
く握りしめてさないのではない。
とももう、自分ので歩ける。
それでも必なだけ、
互いにを差しせる。
妙子はそのことが嬉しかった。
「帰ろうか」
文子が言った。
「そうね」
が妙子の腕へし体を寄せた。
はゆっくり港をれた。
その背で、は何事もなかったように波打っていた。
けれど妙子にとってあのは、
の娘を失った所へつながるであり、
もうの娘ではない女と会ったへつながるでもあった。
しみだけのではない。
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再会だけのでもない。
失ったものと、
しく得たものが、
同じ潮のに混ざっているだった。
そして妙子はようやくった。
自分たちは戦争の族へ戻ったのではない。
戻れなかった。
けれど戻れなかったからこそ、
その、自分たちで族を作り直したのだと。
何も、
歳のが港で泣きながら聞いた。
「私は誰なの?」
あのの妙子には答えられなかった。
今なら答えられる。
森。
千代の娘。
そして、
本へ帰るいの途で、
妙子と互いの命を支えった子。
それで分だった。
名をつにする必もない。
母親をに決める必もない。
の途でまれた切なつながりには、
戸籍にも、
血縁にも、
説しきれないものがある。
はのままでよかった。
文子も文子のままでよかった。
そして妙子も、
どちらかだけを選ぶ母親にならなくてよかった。
は港をれ、町の方へ歩いていった。
夕方のがいを作っていた。
妙子のに伸びるつの。
つは自分がんだ娘。
もうつは、自分がんではいない娘。
けれど妙子にとっては、
どちらも、
あの戦をき抜いた自分のから切りせない、
切な族だった。
※昭21(1946)頃の引揚、戦の族散、元確認や戸籍の困難を背景にした創作です。