みかん小説
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"ATM扱いされた父の正体" 第2話

どうやら「都が悪い」というのは、体調良でも急用でもなく、単に私たちをへ入れたくないというだったらしい。

「お義母さん、こういうことを言うと傷つくかもしれませんけど、最ちょっとおかしいですよ」

「……おかしい?」

「同じことを何度も言ったり、約束を勘違いしたりするでしょう。認症の始まりなんじゃないですか」

私は瞬、何を言われたのか分からなかった。仕事柄、認症という言葉を軽々しく使うことがどれほどを傷つけるかっているからこそ、余計に息が詰まった。しかも私はそのも施設で薬確認をし、7分のケア記録を確認して帰ってきたばかりだった。

「直美さん。それはに向かって簡単に言う言葉じゃない」

の声がくなった。直美は気圧された様子もなく腕を組み、むしろ面倒そうに顔をしかめた。裕介も妻を止めるどころか、その横でさく頷いていた。

「だって配なんです。そんなに子供を預けるのは、もう怖いですから」

その言葉を聞いた、私はたさすらじなくなっていた。

3

週4

朝7から夜7まで。

その子を預かってきたのは、私だった。

私は24歳で介護の仕事に入り、それから38度もこの仕事をれなかった。若い頃は今ほど介護職の制度もっておらず、腰を痛めてもりなければ夜勤に入り、子供がしたは夫と交代で休みを取った。

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裕介がの頃には朝5に起きて弁当を作り、夜勤けの眠い目で授業参観へ駆けつけたこともある。

裕介の学には、学費と活費をわせれば800万円く掛かった。医学部へきたいと言われただけはに難しく、本と何度も話しった末に理系の学を選んでもらった。そのことを私は申し訳なくい、社会になってからも能な範囲で支援してきた。

結婚が決まったには、博と相談して500万円を祝いとして渡した。披宴だけに使わず、活にも役てなさいと伝えたところ、裕介は涙を浮かべて「絶対に恩返しする」と言った。私はその言葉だけで分だとい、本当に返してもらおうなど度も考えたことはなかった。

孫がまれてからは、直美が仕事へく復帰したいと言うため、私が勤務を調した。保育園へ入れるまでのつもりが、そのも「た」「残業になった」「曜に研修がある」と連絡が来るたび預かるようになった。いつのにか週4、朝7から夕方7まで面倒を見る活が3く続いていた。

を作り、オムツを替え、公園へ連れてき、発すれば病院へった。孫が初めて私の名を呼んだ、私は嬉しくて勤務先の同僚にまで話した。直美から「お義母さんがいてくれるから仕事が続けられます」

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と言われたも、自分がしでも若い夫婦の役にっているとっていた。

それが今、認症が配だから子供を会わせたくないと言われている。昨まで頼られていたが、相の都つで突然「危険な老」に変わったような気持ちだった。しかも目のには、それを矛盾だとっている様子さえない。

「だったら、どうして先週まで私に預けていたの?」

私が尋ねると、直美は瞬だけ言葉に詰まった。それでもすぐに線を逸らし、「そのは仕方なかったんです」と答えた。私はその言で、自分が族ではなく無料の保育員として扱われていたのだと初めて理解した。

裕介はさらに続けた。

「それに母さん、孫の教育にもしするだろ。このだって英語教の話をしてたじゃないか」

所にしくできたって話をしただけよ。通わせなさいなんて、度も言ってないでしょう」

「そういうのがプレッシャーなんだよ。俺たちは俺たちのやり方で育てたいんだ」

言っていること自体は理解できた。親子であっても別の庭であり、子育ての主導権は裕介と直美にある。それならそう言ってくれればよかったのに、なぜ認症や齢を持ちして格まで否定する必があるのか、その理由だけが私には分からなかった。

直美は私の装へちらりと線を落とした。

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