"スズメバチ事故の遺言" 第1話
野県のあいに、桐原というさな町があった。
町を囲む々は、になると濃い緑に染まり、朝くから蝉の声がのようにり注いだ。斜面にはさな畑が点し、川沿いには古い々が寄り添うように建っていた。町の々はのとともに起き、まだ空気が涼しいうちに畑へる。それが桐原で昔から続いてきた暮らしだった。
そして桐原は、蜂蜜の町でもあった。
の斜面にはいくつもの蜂があり、になると蜂の羽音が町のあちこちに満ちた。でも町れの斜面にある蜂は、町の々にとって特別な所だった。そこを守っていたのが、養蜂の松吉だった。
松吉は72歳だった。
背はく、首から肩にかけてはに焼け、い皺が刻まれていた。20歳そこそこの頃から蜂を飼い始め、50く桐原で蜂蜜を作り続けてきた。町で「蜂蜜の松吉さん」と言えば、らない者はいなかった。
蜂にはい巣箱が20ほど、斜面に沿って然と並んでいた。松吉はその1つ1つに名をつけ、まるで孫を見るような目で世話をしていた。のものも、彼は毎朝必ず蜂へ向かった。巣箱の蓋をけ、の様子を確かめ、蜂に向かってさく声をかける。
「今も暑くなるぞ」
「もうしの辛抱だ」
そんな独り言が、朝のあいに響くのがいつもの景だった。
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1997710。
その朝も、桐原にはいつもと同じが訪れていた。
朝5を過ぎると、油蝉の声が幾にもなって町を包み込んだ。畑へ向かう々がの戸をけ、商の奥では起きの主がシャッターのを掃いていた。
その頃、町の駐所の若い赤井巡査は、自転で町を見回っていた。桐原にはバスも通っていたが本数はなく、町の細かな見回りは駐所の巡査の役目だった。
赤井はいつものをりながら、ふと違を覚えた。
蜂の方から、松吉の声が聞こえない。
毎朝のように蜂に話しかける声が、そのだけはなかった。最初は気のせいかとったが、の斜面にづくほど、静けさが胸に引っかかった。
赤井は自転を止め、を登っていった。
蜂の羽音だけが、妙にきくに届いた。
巣箱の並ぶ番奥で、松吉が倒れていた。
うつ伏せのまま、かない。
そばには巣箱が1つひっくり返っていた。の巣板が面に散らばり、その周りを何匹もの蜂がくび回っている。
赤井は息をのんだ。
「松吉さん!」
声をかけながら駆け寄ったが、返事はなかった。
松吉の首筋には、赤く腫れがった刺し跡がいくつも残っていた。赤井は震えるで肩に触れた。体はすでにたくなりかけていた。
いつものの朝は、その瞬に終わった。
らせを受けた駐所の越巡査と、町の診療所の老医師が、すぐに蜂へ駆けつけた。
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越は桐原の駐所にく勤める古株だった。町の々の顔も暮らしもよくっている。松吉のことも、蜂蜜を分けてもらったことが何度もあり、決して事ではなかった。
医師は松吉のそばに膝をつき、首筋の刺し跡を確認した。脈を取り、瞳を見て、しばらく黙っていたが、やがて静かに首を横に振った。
「蜂に刺されてショックを起こしたんだろうな。アナフィラキシーというやつだ」
越はその言葉を初めてにした。
医師の説によれば、蜂の毒にく反応する体質のがいて、そういうが刺されるといで全に異変が起きる。血の巡りが急に悪くなり、命に関わることもある。特に何度も刺されたは危険だという。
松吉の首には、5か所も6か所も刺された跡があった。
倒れた巣箱にをついた拍子に、った蜂が斉に襲いかかったのだろう。72歳の体では逃げきれなかったのだ。
理屈としては、何もおかしくなかった。
それでも越の胸には、さな引っかかりが残った。
蜂のそばにある古い作業を覗くと、壁には松吉の防護網付きの子と、分い袋がいつものように掛けてあった。蜂を扱う者にとって、防護網は命を守る切な具だった。
だが、その朝の松吉は、それをにつけていなかった。
子も袋も、に置かれたままだった。
さらに越はになって、養蜂のには万に備え、蜂の毒による発作を抑える薬を元に置く者もいとった。
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