"八年分の源泉徴収票" 第17話
伝うことがあれば言って
季節が巡り、に入った。
れのよい曜、私は買いしの荷物を提げて練馬の母のを訪れた。
母のはすっかり良くなり、のなら杖なしで歩けるようになっていた。
週に度、私が掃除やいものの買いしを伝う関係は続いていたが、以のように私が先回りして母の活を仕切ることはなくなっていた。
「お母さん、買ってきた野菜、蔵庫の野菜に入れとくね」
「ありがとう、恭子。お茶が入ってるよ」
台所から居へくと、テーブルのに湯呑みがつ並んでいた。
母が自分で淹れたお茶だった。し茶葉がくて渋かったが、それが母の淹れるお茶のだった。
子に腰掛けようとしたとき、テーブルの端に置かれた枚のチラシが目に留まった。
練馬区の広報の切り抜きだった。
『区図館 域資料 郷古文・古写真のデジタル化理ボランティア募集』
週に回、昭初期の域の古図や商の古い写真をスキャニングし、きの目録と突きわせる作業員の募集だった。対象齢は問、ただし「根気く細かな文字の照ができる方」と太字でかれていた。
チラシの余には、母の跡で、区民センターの話番号と面接のがさくメモされていた。
臓が、トクンとさくねた。
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の記憶が、瞬だけ脳裏をよぎる。
あの、腰を痛めた母を配して、私が勝に話をかけて辞めさせた、あの公民館のボランティア。
「お母さん、腰が悪いんだから」
「もうなんだから、若いに任せればいいの」
「また痛めたら、結局変ないをするのはお母さんなんだよ」
喉の奥まで、かつての私の「正論」が自にせりがってきた。
母はもうすぐ歳だ。骨粗しょう症の持病もある。
いファイルを持ったり、毎机に向かったりすれば、またどこかを痛めるかもしれない。
私は息を呑み、その言葉を喉の奥へぐっと押し戻した。
テーブルののチラシを、指先で静かに撫でる。
台所から戻ってきた母が、私の線に気づいてを止めた。
母の顔に、微かな緊張がるのがわかった。
またられるのではないか、また先回りして止められるのではないかという、の警戒が、瞬だけその瞳に揺らめいた。
私はチラシから顔をげ、母の目をまっすぐに見つめた。
できるだけ、ごく普通の、常のトーンで尋ねた。
「これ、やってみたいの?」
母は湯呑みに線を落とし、し躊躇うようにを置いた。
「……まだ、分からないよ。もうになる寄りを、雇ってくれるかどうかも分からないしね。また途で目がかすんだり、腰が痛くなったりするかもしれないしさ」
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自分から予防線を張る母の言葉に、胸がチクリと痛んだ。
母自も、自分の老いと限界を、誰よりも分かっているのだ。
それでも、社会の片隅に、自分の居所を探さずにはいられないのだ。
「そっか」
私はチラシを丁寧に元の位置に戻した。
「受けるかどうか決めたら、教えて」
母が議そうに眉をげた。
「……止めないのかい?」
「止めないよ」
私は温かい湯呑みを両で包み、微笑んだ。
「お母さんが自分で決めることだもの」
母はしばらく私を凝していた。
私の顔から嘘や皮肉を探そうとするように。
やがて、母の表から警戒のトゲが本ずつ抜けていくのが見えた。
「もし……」
母がしだけ目遣いになって、試すように言った。
「もし、きたいって言ったら、どうする?」
私はお茶をすすり、母の目をしっかりと見て答えた。
「そうねぇ」
しだけを置いて、私は続けた。
「図館までのバスの刻表を調べて、老鏡の度数がってるか緒に鏡さんに見にこうか、って聞くわ」
母が目を丸くした。
「伝うことがあれば言って。私がやるのは、そこまで。あとの面接を受けるのも、実際に通うのも、しんどくなったら辞めるのも、全部お母さんが自分で決めて」
母は呆気にとられたように私を見つめていたが、やがて、元にさな笑みを浮かべた。
その笑みは、みるみるうちに広がり、目尻にい皺を刻んだ。
「なんだい、それ。随分とたい娘になったもんだねぇ」
「そうよ。もう過保護な娘はおしまい」
で顔を見わせ、声をして笑った。
居の古い掛け計が、ボーンと正午の鐘をつ鳴らした。
母はチラシを指先で引き寄せ、胸のポケットから赤いボールペンを取りした。
そして、説会の持ち物の欄にある「記用具、老鏡」の文字に、しっかりと、自分ので丸をつけた。
その節くれだった指先を、私はもう奪おうとはしなかった。
私はただ、母が淹れてくれたし渋いお茶をみながら、自分のでを向こうとするひとりのの姿を、温かな敬を込めて見つめていた。