"夫が届出た私の失踪" 第16話
以なら
それからのヶは、奇妙で、そして信じられないほど静かなだった。
私たちは元のマンションでの活を再した。
健は会社に復帰し、無断欠勤については「内に幸があり、連絡が滞った」とをげて回ったらしい。幸いにも解雇にはならず、からの方営業所への統も見送られ、現の部署に留まることが決まった。
活は劇には変わらなかった。
朝になれば健は勤し、私はドラッグストアでレジを打った。
ただ、つだけ決定に違っていたのは、言葉だった。
曜の朝、健が玄関で靴を履きながら、振り返って言った。
『今、仕事が終わったら鷺沼へ寄る。には帰るよ』
私は台所から顔をし、『分かった。夕飯は向こうでべるのね?』と聞いた。
『ああ。コンビニで何か買う』
『解。気をつけてね』
それだけだった。
どこへくのか、何をするのかを詮索することは切なかった。
私もまた、曜の夕方、パートを終えると健にLINEを送った。
『今、アパートへきます。半には戻ります』
数分には、健から『解。呂は沸かしておくよ』と返信が来た。
誰にも隠れていないという事実だけで、あの畳の空気はまるで違ったものになった。
罪悪に苛まれながらべるコンビニのおにぎりは、ただの夕になり、の音を聞きながら過ごすは、ただの読のになった。
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議なことに、いつでも逃げ込める所があるとうと、以のように「に帰りたくない」という切迫した息苦しさは、しずつれていった。
の旬。
残暑の厳しい曜の朝、つの封筒が届いた。
私のアパートの更通と、健の鷺沼のマンションの更案内だった。
ヶの期限が、切れるだった。
そのの夜、健が先に帰宅していた。
リビングのテーブルのに、鷺沼のマンションの賃貸契約の控えが置かれていた。
そのには、産に返却するための鍵が本、ちょこんと乗っていた。
「解約したのか?」
私が着替えを終えてリビングに入ると、健がソファから顔をげて言った。
「今、産にってきた。今末で引き払う」
「……どうして?」
「あそこにいても、やることがないんだよ」
健はし照れくさそうに笑った。
「最初のうちは本を読んだり、テレビを見たりしてたけどさ。結局、でいても落ち着かないんだ。……それに、おが『ってきます』って言ってくれるようになってから、おがいつ消えるかっていう恐怖が、なくなったからな」
健は私に「おも解約しろ」とは言わなかった。
ただ、自分の鍵を静かにテーブルの端へ片付けた。
翌週の曜。
私はドラッグストアのパートを終えた、あの築のアパートへ向かった。
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部に入り、畳を雑巾で拭き、テーブルを畳んで押し入れに入れた。
何もない畳は、ヶと何つ変わっていなかった。
裸球の紐を引き、鍵を閉め、駅の産へ向かった。
鍵をカウンターの事務員に返却した、胸のにあったのは寂しさではなく、ひどく軽やかな解放だった。
その週末、私たちは京都にいる奈津の許を取って、奈津の昔の部の模様替えをした。
ピンクだったカーテンを落ち着いたベージュに変え、使わなくなった学習机を粗ゴミにし、さなリクライニングチェアと読灯を置いた。
どちらの部でもない。
「誰でも、になりたいに閉じこもっていい部」。
ドアには『使用』の札を掛けられるようにした。入っているは、ノックをしてはいけない。で何をしていても詮索しない。
がのに、しい「逃げ所」ができただった。
の第曜。
計の針が午を回った頃、私は駅からの夜を歩いていた。
涼しいが、照った頬を撫でていく。
マンションのエレベーターをがり、402号のドアをける。
鍵をけて玄関に入ると、リビングからテレビのニュース番組の音が微かに漏れていた。
靴を脱ぎ、スニーカーを揃えていると、廊の向こうから健が顔をした。
メガネをかけ、部着のスウェット姿だった。
「お帰り」
健が言った。
「ただいま」
私はバッグを置きながら、息を吐いた。
健は私の元を見つめ、それから何気ない調で尋ねてきた。
「今……あっちの部、かなかったんだな」
私はスリッパにを入れ、健の顔を見げた。
ヶ、恐怖と疑惑に歪んでいたその顔には、今は穏やかな、見慣れた皺が刻まれていた。
「解約してきたのよ。先週」
「そうか」
健はしだけ目を丸くし、それからさく笑った。
「どうしてだ?」
「……ここが私のだから」とか、「あなたをしているから」なんて言葉は、喉元を探しても見つからなかった。
そんな袈裟な板は、今の私たちにはまだ似わない。
私は着を脱ぎながら、素直にに浮かんだ言葉をにした。
「今は、ここに帰りたかったから」
健は瞬、虚を突かれたような顔をした。
それから、静かに頷いた。
「そうか。……飯、できてるよ。温めるな」
健が背を向けてキッチンへ向かう。
そのろ姿を見つめながら、私は目にして初めて、このに自分の志で「帰ってきた」のだと実していた。
翌朝、曜。
私が目を覚ましたのは午だった。
寝をると、リビングはすでにるく、健の姿はなかった。
玄関へくと、健の革靴が消えていた。いつものように、半よりにをたらしい。
ダイニングテーブルのを見る。
そこには、ヶのように、鮮やかな黄い付箋が置かれていた。
だが、それはテーブルに爪をてるように貼り付いてはいなかった。
マグカップの底に、そっと挟むように置かれていた。
に取り、健のし肩がりの文字を目で追った。
『昨夜は遅くまでお疲れ様。
起こすのも悪いから先にます。
今夜、空いてたら駅で飯でもわないか。
健』
私はさく息を漏らし、元が緩むのを止められなかった。
テーブルののペンてから、黒いボールペンを本引き抜く。
付箋の余に、迷うことなく、言だけきした。
『以なら』
黄いを、蔵庫のマグネットにパチンと留めた。
朝の柔らかいが、リビングの窓いっぱいに広がっていた。