みかん小説
本棚

"書けないはずの祖母のハガキ" 第19話

で描いた丸

の終わり。

松本の々は、頂のあたりがく化粧を始めていた。

約束通り、私はの第曜に野へやってきた。

〇号の引き戸をけると、祖母は子に座って、窓のの葉を見つめていた。

膝のには、私が以プレゼントした膝掛けが掛けられている。

「おばあちゃん」

声をかけると、祖母はゆっくりと振り返り、くしゃりと顔を綻ばせた。

「……は、る……か……」

「うん、遥だよ。今も来たよ」

曜と曜の、私は祖母の子を押して、敷内の庭を散歩した。

とろみ茶をませるつきも、しずつ慣れてきた。

むせそうになったらスプーンを引く。

祖母が自分のペースでみすのを、焦らずに待つ。

オムツを替えるときは、野さんにコツを教わり、腰への負担を減らす体の使い方を覚えた。

曜の午。

京へ戻る特急あずさのがづいていた。

荷物をまとめ、コートを着て「じゃあね、また来来るね」とを振ったときだった。

祖母のが、私のコートの裾をきゅっと掴んだ。

骨張った指先に、微かな力が込められている。

「……どうしたの?」

祖母は顎をさくしゃくり、部の入りの方を指差した。

「……ハ、ガ……キ……」

「ハガキ?」

「……か、って……きて……」

私は階の売へり、切付きの官製ハガキを枚買ってきた。

部に戻り、祖母のベッドサイドのテーブルにそれを置く。

広告

「買ってきたよ。……誰にすの? お母さん? それとも伯父さん?」

祖母は首を横に振った。

そして、かないを庇うようにしながら、の差し指で、私の胸のあたりをトントンと指した。

「……あん……た……」

「私に?」

私はわず笑ってしまった。

「私、今ここにいるよ? それに、おばあちゃんかないから、けないでしょう」

祖母は眉を寄せ、いたずらが見つかった子供のような顔をした。

それから、私のカバンから覗いていたボールペンを指差した。

「……あん……た、が……かくの……」

私は息を止めた。

子を引き、祖母の隣に座った。

いハガキを広げ、青いボールペンのキャップをす。

「いいよ。何てく? おばあちゃんが言った通りに、文字も変えないでくからね」

祖母は老鏡をかけ直し、ハガキのい余をじっと見つめた。

また、沈黙が流れた。

でも、もう誰もその沈黙を怖がっていなかった。

窓のを通り過ぎるの音と、くをるの音だけが、穏やかに部を満たしている。

分、分。

祖母は呼吸をえ、記憶の糸を繰り寄せるようにして、ゆっくりと唇をいた。

「……き……て……」

私はペンを握ったまま、を澄ませた。

「きて……ほしい、とき……」

祖母は度息を吸い、私の顔を真っ直ぐに見つめた。

「……いう……から……」

胸の奥が、いものでいっぱいになった。

『若いは仕事を優先しなさい』でもない。

『無理して来なくていい』でもない。

広告

会いたいときは、来てほしいと、自分の言葉で言う。

だから、それまでは自分の活をきなさいという、本当の、飾らない祖母の。

私はペンをらせた。

余計な敬語も、綺麗な言い回しもさず、祖母の絞りした言葉をそのまま、のに刻みつけた。

『来てほしいとき、言うから。』

き終えて、ペンを祖母のに渡した。

「おばあちゃん。ここ、お名いて」

祖母はペンをでぎゅっと握りしめた。

震える首を、私のでからそっと支える。

祖母はペン先をハガキのに落とした。

文字をくことは、やはりできなかった。

『文子』という漢字の形を、はいすことができない。

祖母は唇をきつく噛み締め、ペン先に体をかけた。

青いインクが、の繊維に滲んでいく。

ガリ、ガリ、とを削るような音が響いた。

祖母のが、円を描くようにいた。

途で何度も止まり、線が側に歪み、決して綺麗な形にはならなかったけれど。

ハガキのに、歪で、力い、ひとつの丸が描かれた。

祖母はペンを置き、ふう、と満そうに息を吐いた。

その丸を指でポンと叩き、私を見て、さく笑った。

それが、祖母のサインだった。

誰にも翻訳されず、誰の都にもわせられていない、世界でたったつの、祖母の印。

「受け取ったよ」

私はハガキを両で持ち、切にカバンの内ポケットにしまった。

が傾き、部のを柔らかな茜に染めていた。

窓のには、夕暮れに染まる松本のと、どこまでも続く々の稜線が広がっている。

「じゃあね、おばあちゃん。また来」

祖母はをさく持ちげ、ゆっくりと、何度も振り返る私に向かって、を振り続けてくれた。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: