"七年前に死んだ母の退院" 第16話
唐辛子のない席
季節がつ巡り、の初のがを青く染める頃になっていた。
私は相変わらず、品流通会社のオフィスでチルド惣菜の物流データを睨み、会議で数字を並べる々を送っていた。兄の修とは、正の親族の集まりで顔をわせたが、文の話題はお互いに度もにしなかった。義姉の恵美も、私が何も厄介ごとを持ち込んでこないことにしたのか、以と変わらない調子で世話を振ってきた。
私は文の「娘」にはならなかった。
毎週顔をすようなこともしていない。に度、仕事がく終わった曜の午にふらりと施設へ寄ることもあれば、繁忙期にはヶく話本だけで済ませることもあった。
施設での文は、私の配をよそに、驚くほどあっさりとしい環境に馴染んでいた。
デイサービスの塗り絵教で同じテーブルになった元仕てのおばあさんと仲良くなり、堂では職員に「今の噌汁はし塩辛い」と文句を言えるくらいには、図々しさを取り戻していた。
あの畳半のアパートで、母のだけに縋り付いて膝を抱えていた老は、もうそこにはいなかった。
曜の昼がり。
休暇を消化するために休みを取った私は、区の駅にある蕎麦のテーブル席に座っていた。
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簾をくぐって入ってきた文は、柄のブラウスのにのカーディガンを羽織り、シルバーカーを押しながら、背筋をし伸ばして歩いてきた。
「お待たせしちゃったかしら」
「いいえ、私もいま来たとこです」
向かいって座り、たい麦茶で喉を潤す。
注文したのは、とも同じ『せいろ』だった。
運ばれてきた蕎麦はみずみずしく、つゆの汁のりがふわりと腔をくすぐった。
「いただきます」
文は割り箸を割り、器用に蕎麦を繰ってに運んだ。歯切れのいい音をててみ込み、満そうに目を細める。
私は薬の皿から、おろし葵をしだけ箸の先に取り、蕎麦の端に乗せてつゆにつけた。
ふと線をじて顔をげると、文が箸を止めて、私の元をしげしげと見つめていた。
「……何ですか? 私の顔に何か付いてます?」
文はさく吹きし、それから湯呑みを両で包み込むように持った。あの、段ボールの底からてきた、台がし欠けた益子焼の湯呑みだった。施設に頼んで、割れないように事に使わせてもらっているのだという。
「あなた、お母さんとは本当に似てないわねえとって」
「え?」
私が眉をひそめると、文は楽しそうに目を細めた。
「枝さんはね、お蕎麦をべる、葵なんてお品なものは使わなかったのよ。
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卓の唐辛子の瓶を引っこ抜いてね、真っ赤になるまでつゆに振りかけるの。汗をダラダラ流しながら、『辛い、辛い』って言って蕎麦をすするのよ。私が呆れて見てると、『こうやって刺激を入れないと、体の芯がボケちゃうのよ』なんてがってねえ」
私はわず吹きした。
「何それ。母さん、ではそんなこと度もしなかったですよ。すき焼きのも、お雑煮のも、辛いものは子供の覚にわせてずっとにしてました」
「では『お母さん』をやってたからよ」
文は誇らしげに言った。
「私のではね、ただのっ張りで、儀の悪い、普通の婆さんだったの。真紀ちゃんに見せたらられちゃうような顔ばっかりしてたわよ」
文はそう言って、悪戯っぽく笑った。
その笑顔を見て、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのをじた。
嫉妬は、もうどこにもなかった。
私のした母と、文のした枝は、確かに同じだった。けれど、見せていた横顔が違っていただけなのだ。母が文のでだけ息を抜くことができていたのなら、それは娘である私にとっても、救いのような事実だった。
「私は、は入れませんよ」
私は葵の乗った蕎麦をつゆに浸し、へ運んだ。
「辛いのは苦なんです。さい頃からずっと」
「ってるわよ」
文は自分のぷら皿から、カラリと揚がったきな椎茸のぷらを箸で摘みげた。
「これ、あなたがべられないから、私が貰ってあげる。……いいでしょう?」
「どうぞ。歓迎です」
文の皿に椎茸を差しすと、彼女は嬉しそうにサクリと音をてて齧った。
内のテレビからは、午のニュース番組の呑気なアナウンサーの声が流れていた。
け放たれた入りの引き戸から、初の眩しいと、青葉の匂いを孕んだが吹き抜けていく。
母はもう、この世のどこにもいない。
話をかけてもないし、曜の午に現れることもない。
けれど、母が遺していったさな偶然の結び目から、私とこの老は、しく、それぞれの席に座り直していた。
血の繋がりもなく、法な責任もなく、誰かの代わりでもない。
ただ、初の乾いたので、同じ蕎麦を繰り、違う付けを面がりながら、向かいっている。
「さん、来はさ、あそこの甘処のあんみつがべたいわねえ」
文が、唐辛子の瓶をくに押しやりながら言った。
「気が向いたらね」
私は蕎麦湯をつゆの器に注ぎながら、笑って答えた。
「仕事の都がついたら、連絡します」
「はいよ、待ってるわ」
のに、それ以の言葉は必なかった。
初の差しが、欠けた湯呑みの底を、静かに照らししていた。