"今回は、探さない" 第18話
泡のついたスポンジ
達也がしい会社――古川社の営業会社に正式に入社してから、ヶが過ぎていた。
活は、劇に変わった。
以のような贅沢は切できなくなった。
自用は売却し、週末の買い物は族全員で自転を漕いで業務スーパーへ向かうようになった。
の回数はに度、所の回転寿司にければ良い方だ。
は週に、夕方のカフェでアルバイトを続け、自分の通学定期代と参考代を賄っている。
けれど、のの空気は、で今がいちばん澄んでいた。
夫が「疲れた」「誰のおかげで飯がえてるんだ」と嫌を撒き散らすことは度となくなった。
夜、達也が持ち帰る話は、現で起きた失敗や、しく覚えた業務アプリの使い方の話ばかりだったが、その瞳はいつもききとしていた。
歳のチームリーダーとは、今では番のみ仲らしい。
「おじさんの臭い営業、マジで勉になります」と輩に言われた夜、達也は嬉しそうに物の缶チューハイを空けていた。
初のが網戸を揺らす、曜の夕暮れのことだった。
夕を終え、私はシンクで器を洗っていた。
蛇から流れるぬるま湯と、洗剤の泡の音がキッチンに響いている。
リビングでは、達也がプロ野球の継を眺めながら、爪切りでパチン、パチンと音をてていた。
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どこにでもある、何の変哲もない、平凡で静かな休の夜だった。
ピロリロリン、と達也のスマートフォンの着信音が鳴った。
達也がリモコンを置き、画面を見た。
「……ん? 誰だ、こんなに」
通話ボタンを押してに当てた達也の声が、し改まったものに変わる。
「もしもし、佐藤です。……ああ、内か! 久しぶりだな、どうした?」
内という名を聞いて、私のがわずかに止まった。
達也がの会社で同じ課にいた、輩の営業マンだ。
話の向こうから、切迫した、焦りを含んだ男の声がで漏れ聞こえてくる。
「……え? おもか?」
達也の眉が寄った。
「事業部の縮……そうか。急に言われたのか。……わかるよ。俺もヶ、が真っになったからな」
どうやら、かつての同僚も同じようにリストラの対象になったらしかった。
内は代半、幼い子どもがいたはずだ。
話越しの声は次第にを帯び、何かを必に懇願するようにくなっていった。
『――佐藤さん、奥さん、の版社でしたよね? いろんな業界に顔が利くって、によく自されてたじゃないですか! どこか、紹介してもらえませんか? 佐藤さんのから、奥さんに頼んでいただけないでしょうか!』
シンクので、私の背筋がかすかに張った。
の達也なら、違いなくこう言っていただろう。
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「わかった、俺から麻に言っておくよ。あいつの脈使えば、何とかなるかもしれないからさ」と。
夫はの痛みを引き受けるふりをして、その実、妻の柄を自分の柄のように使い、いい顔をするのが常だったのだ。
キッチンとリビングのに、数秒の沈黙が落ちた。
達也が、ソファからゆっくりとちがった。
そして、キッチンのシンクで背を向けている私へと線を向けた。
私の界の端で、夫のが揺れる。
けれど、夫のからた言葉は、私の像を静かに、けれど決定に超えていた。
「内」
達也の声は、驚くほど落ち着いていた。
「気持ちは痛いほどわかる。でもな、妻に頼んで仕事を紹介してもらうことはできないよ」
話の向こうで、内が絶句した気配がした。
「妻の脈は、妻が以、汗を流して築いてきた信用なんだ。俺たちが自分の都でタダ乗りしていいものじゃないんだよ」
達也は静かに、けれど切の迷いなく言葉を続けた。
「俺がってる途採用の公サイトなら、いくつか教えられる。俺がこの数ヶ、歳でどんなに類を落とされて、どうやって面接を受けたかも、必なら全部話す。……でも、ドアをけるのは、お自じゃなきゃダメだ。がけてくれたドアを通っても、で絶対に自分が苦しくなるから」
話の向こうの内は、何かを呟き、やがて力なく「……わかりました」と言って通話を切ったようだった。
ツーツーという無質な子音が、静まり返った部に落ちた。
達也はスマートフォンをポケットに仕い、さく息を吐いた。
私は蛇を止め、振り返った。
泡のついたゴム袋をしたまま、夫を見つめる。
「……誰だったの? 私、何か伝うことあった?」
敢えてそう尋ねた私に、達也はふっと苦笑いを浮かべた。
「の会社の輩だよ。焦ってたみたいだけど……あいつなら丈夫だ。真面目な奴だから、自分で探せるよ」
達也はリビングを歩いてキッチンに入ってくると、シャツの袖を肘まで捲りげた。
「ほら、代わるよ。袋貸して」
「いいよ、私が洗うから」
「いいから。お、今締切でパソコン打ってただろ。肩凝ってるはずだ」
達也は私のから、泡のついたスポンジをひょいと奪い取った。
きなが、慣れたつきで皿を擦り始める。
流の音が、再びシンクに優しく響き渡った。
私はゴム袋をし、夫の隣に並んで、洗い終わった皿を布巾で拭き取っていった。
を取りって抱きかかえるのではなく。
どちらかが誰かの荷を背負い込むのでもなく。
ただ、自分ので並んでち、それぞれの持ちで、同じ流の音を聞いている。
「ねえ、達也さん」
「ん?」
「今度の連休、自転でくの川までってみない?」
達也は皿の泡をで流しながら、嬉しそうに目を細めた。
「いいな。と蓮も誘うか。おにぎり握ってさ」
「うん。そうしよう」
夕暮れのキッチンに、穏やかな笑い声が溶けていった。
かけてたどり着いた、私たちの、本当のしい活が始まっていた。