"母が残した最後の住所" 第11話
沼田の顔が変わった。
若い頃、「使用の子としてきるのは嫌だ」とをた息子と、36まともに会っていないことを以聞いていた。賀状だけは毎来るが、沼田は返事をいても通もせずにいた。
「、をします」
「坊っちゃま。もう36でございます」
「36でも遅くない」
沼田は黙った。
俺は続けた。
「こので、それを嫌というほど教わりました」
沼田は机の引きしから、太い輪ゴムで束ねたをした。
36通あった。
翌朝。
俺がを運転し。
沼田を乗せた。
その先の話は。
俺が詳しく語ることではない。
ただ。
帰りのので。
沼田はずっと泣いていた。
祖父の遺言によって、会社の株のくは従業員持株会へ移された。朝倉だけが会社を支配できる形は終わり、俺自も「族の会社」からしずつしていくことを選んだ。
「は残しても、のためにを縛るな」
祖父が晩、自分でき加えた言葉だった。
。
俺は母と父の墓へった。
祖父は、朝倉の墓へ千鶴を入れるのではなく、隣に真野の墓を用させていた。
「あの子は真野千鶴としてきたんだ。それをんでから朝倉へ戻すのは違う」
祖父らしい、器用な答えだった。
墓で線をげた。
「母さん。俺、ちゃんとあの所へったよ」
が吹き、煙が横へ流れた。
「あの、本当はので帰ろうとしたんだ。
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あと歩く歩いてたら、がく音も聞こえなかったかもしれない」
返事はない。
「でもったよ。母さんがけっていたから」
俺はしゃがみ、墓へをかけた。
「それから、あのの噌汁。ちゃんと届いてたよ。じいさんが送った箱を母さんが受け取って、それを俺が杯んだ」
239個は戻った。
けれど。
つだけ届いた。
俺は今。
それで分だったとっている。
数か。
敷のへ初めて鍵をかけた。
母がていってから、40以、度も施錠されなかっただった。
「本当によろしいのですか」
沼田が尋ねた。
「はい」
俺は母が使っていた階の窓を見げた。
「もう待たなくていいので」
「……はい」
「帰ってきましたから」
沼田はをゆっくり閉じた。
が擦れるい音がして。
最に具が噛みった。
その。
父が作った桐の箱を閉めたの音をいした。
ぴったりったものは。
最にさく。
空気が抜ける音がする。
俺は会社のだけは、以よりきやすくした。
相談窓を作り。
社員が族の介護や借、子どもの学で困ったにも、まず話を聞く制度を作った。
何でも助けられるわけではない。
誰のでも救えるわけでもない。
それでも。
度だけは。
「うちに来られても困る」
ではなく。
「話を聞かせてください」
と言える所でありたいとった。
俺にも族ができた。
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子どもはいる。
朝はできるだけ緒に飯をう。
噌汁には、必ず具をつ入れる。
妻に「つでもいいじゃない」と言われるたび。
「つあると、ちゃんとべた気になるんだよ」
と答える。
それが誰の言葉なのか。
子どもたちはまだらない。
朝倉醸造の赤いラベルの噌は、今もスーパーに並んでいる。
母が100円くても買い続けただ。
会社の俺の机には。
枚の古い名札が入っている。
《惣菜 真野千鶴》
母が10つけていたものだ。
その隣には。
つ折りの。
《本当にになっただけ、この所へきなさい。》
14歳の俺は。
あの。
本当にになったとった。
けれど。
母は最まで。
俺をにはしていなかった。
自分では帰れなかった所へ。
最の最で。
俺をつないでくれていた。
だから今でも。
のどこかでく所を失ったを見ると。
あののをいす。
い砂利。
濃い緑の庭。
切れた靴紐。
制のしわ。
そして。
の内側で。
震えながらをげていた老の声。
「坊っちゃま、お待ちしておりました」
あの言葉は。
持ちのへ迎え入れられた図ではなかった。
俺にとっては。
もう度。
のいる所へ戻れた。
最初の言葉だった。