みかん小説
本棚

"老人ホームの話を聞いた夜" 第6話

 

正雄は都のビジネスホテルに入った。

狭い部だった。窓のには隣のビルの壁しか見えない。だが正雄にとって、そこはしいであり、反撃のための司令だった。

段ボール箱を部の隅に積み、ベッドの端に腰をろす。スプリングがきしむ音が、静かな部に響いた。

テレビをつけると、偶然にも沖縄の特集番組が映った。

コバルトブルーのい砂浜、眩しい太陽。

あいつらも今頃、この景を見ているのだろうか。

正雄はスマートフォンを取りし、由美のSNSをいた。

案の定、投稿があった。

「沖縄最入らずの休

覇空港で撮った3の写真だった。

はVサインをし、健はコーヒーを片に得げに笑い、由美はサングラスをに乗せて満面の笑みを浮かべている。

その写真のに、正雄はいなかった。

まるで初めからしなかったかのように。

「楽しんでこい」

正雄は静かに呟いた。

その声には嫉妬もしみもなかった。

ただ、嵐のの静けさのような落ち着きだけがあった。

その、スマートフォンが震えた。

表示された名は、幸運産の担当者・田だった。

「もしもし、鈴です」

「鈴様、お世話になっております。ご自宅の件ですが、買いが見つかりました」

正雄は黙って聞いた。

「ご希望通り、現括で購入を希望されているお客様です。

広告

つきましては、契約を結びたいのですが、ご都はいかがでしょうか」

族が沖縄で2目の朝を迎えるそのに、すべてが終わる。

「分かった。会おう」

の午、正雄は再び幸運産の応接にいた。

向かい側には、買いとなる若い夫婦が座っていた。30代半ほどの夫婦で、妻のお腹はふっくらしている。もうすぐ子どもがまれるのだろう。

「初めまして。このたびお宅を購入させていただくことになりました、佐藤と申します」

夫がげた。

妻も柔らかい笑顔で会釈した。

「お、拝見させていただきました。とても当たりがよくて、きれいにお使いになられていて、まれてくる子どもを育てるのに、本当に素敵な環境だといました」

その言葉に、正雄の胸がし痛んだ。

自分もあので健を育てた。

リビングの柱には、健を刻んだ傷が今も残っているはずだった。

だが、その傷はすぐにたい決に押し戻された。

あのは、もう温かい巣ではない。

自分を追いそうとした裏切りの台だ。

が契約内容を読みげた。

売買価格、、残の支払い、引き渡し。法律用語が並ぶ契約の内容が淡々と説されていく。

「では、鈴様。こちらにご署名と実印をお願いいたします」

正雄は鞄から印鑑ケースを取りした。

広告

みのある実印。

このを建てた、これから黒柱としてきていく覚悟とともに作ったものだった。

その印鑑で、今この放す。

正雄は震えることのないで署名欄に名いた。

正雄。

そして、朱肉をつけ、名の横に実印を押した。

どん。

鈍くい音が、静かな応接に響いた。

それは、過のすべてに終止符を打つ音のようだった。

「これにて売買契約は正式に成いたしました」

がそう宣言した直、スマートフォンにから入が届いた。契約通りのが、確かに正雄の座に振り込まれている。

すべてが現実だった。

「これで、あのはもう俺のではない」

誰に言うでもなく、正雄は静かに呟いた。

佐藤夫妻は何度もげた。

切に使わせていただきます」

「ああ」

正雄はく答え、応接にした。

ると、午差しがまぶしかった。

正雄はくの公園のベンチに座り、青空を見げた。

帰るはもうない。

だが、議なほどの解放が全を包んでいた。

 

1週の沖縄旅は、健たちにとってあっというだった。

の夕方、3は羽田空港の到着ロビーに姿を見せた。焼けした顔には、疲れと満が滲んでいた。

「ああ、疲れた。でも楽しかったね」

由美がきく伸びをした。

「僕、まだ帰りたくない。

もっとで遊びたかった」

産袋を抱え、満そうに唇を尖らせる。

「また来連れてきてやるから」

はスーツケースを押しながら父親らしく言った。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: