"老人ホームの話を聞いた夜" 第5話
「そうだ、由美。来週の沖縄旅の件だけど、レンタカー予約しておいたぞ」
「ええ、ありがとう」
「沖縄!」
隼が待ってましたとばかりに声をげた。
「乗れるんだよね。で泳げるんだよね」
「ああ、もちろんだ。隼のために、1番景のいいホテルを予約したんだぞ」
正雄は、その会話を初めて聞いた。
3は、まるで正雄がそのにいないかのように楽しげに旅の計画を話していた。ホテルのプール、美ら族館、ステーキハウス、お産。どの会話にも、正雄の居所はなかった。
ひとしきり盛りがった、由美はいしたように正雄の方を見た。
「あの、お義父さん。すみません。私たちだけで……隼がどうしても沖縄にきたいって聞かなくて」
言葉を濁す由美の代わりに、健が言った。
「父さんには申し訳ないんだが、その、の留守番をお願いできないだろうか」
留守番。
ああ、そうか。
俺の役割はそれか。
おたちがの島で羽を伸ばしている、このを番犬のように守るのが俺の役目か。
正雄はゆっくり顔をげた。
健の顔には期待とが浮かんでいた。由美は罪悪を装いながらも、く「いいよ」と言ってほしいと願っている。隼は旅のことでがいっぱいで、祖父などにない。
正雄はふっとかすかに笑った。
その静かな笑みに、健と由美は理由の分からない恐怖を覚えた。
広告
「ああ、分かった。ってこい。のことは配するな」
その言葉に、3はあからさまにほっとした。
よかった。
許してくれた。
分かってくれた。
そんな顔だった。
だが、彼らはらなかった。
沖縄旅の1週こそが、正雄に与えられた最のであり、すべてを終わらせるための完璧なだということを。
旅当の朝、のは浮かれた空気で満ちていた。
リビングには膨れがったスーツケースが3つ転がっている。隼はしく買ってもらったイルカの浮き輪を抱え、ね回っていた。
「パパ、っちゃうよ」
「分かってる。由美、俺のサングラスらないか」
「自分で管理してって言ったでしょう。分、洗面所の棚よ」
正雄は自のドアをしけ、その景を静かに見ていた。
誰も正雄に「ってきます」と言わなかった。
健が形式に玄関から声をかけた。
「父さん、じゃあってくるから。留守番よろしくな」
返事を待つこともなく、3はていった。
ガチャン。
玄関のドアが閉まる音が、やけにきく響いた。
その瞬、はを打ったように静まり返った。
正雄はゆっくりとリビングにを踏み入れた。
テーブルにはべ散らかされたパンくずと、みかけのコーヒーカップが置きっぱなしになっている。ソファには、持ってくか迷ったが脱ぎ捨てられていた。
広告
誰も片付けていかなかった。
どうせ留守番の正雄がやるだろうとっているのだ。
「ふん。好きにしろ」
正雄は押し入れから段ボール箱を取りし、荷造りを始めた。
最初の箱には、数枚の着替えを入れた。
2つ目には、子が好きだった本、自分が何度も読み返した歴史説を入れた。
3つ目には、1番切なものを詰めた。子の遺、結婚式の写真、定退職のにもらった万のセット。
ひとつ、またひとつ。
自分ののかけらを選び取っていく。
気づけば、72のがたった5つの段ボール箱に収まってしまった。
部を見渡すと、ベッド、タンス、テレビが残っていた。だが、それらにはもう何の未練もなかった。
ピンポン。
インターホンが鳴った。
モニターには、運送会社の若い男性2が映っている。
「お荷物はこの5つだけでよろしいですか?」
作業員は、型テレビや派なソファ、に線を泳がせながら尋ねた。
「ああ、それだけでいい」
「はどうされるんですか」
「全部置いていく。俺にはもう必ないものだ」
作業員たちは議そうな顔をしたが、黙って段ボールを運びした。
荷物はあっというになくなった。
正雄は玄関に1ち、ポケットからの鍵を取りした。そして、それを玄関ドアの郵便受けに滑り込ませた。
カチャン。
さな属音が、最の別れの図だった。
もうこの鍵は必ない。
このに、2度とを踏み入れることはないのだから。