みかん小説
本棚

"朝食を捨てた義母に「二度と台所には立ちません」" 第18話

健全な族であるためには、境界線が必なのだ。

「ええ。所沢駅から駅ですから、何かあればすぐに来られますよ」

私が笑って答えると、義父が奥から歩みてきた。 には、所沢駅の菓子の袋が握られている。

「美里さん、これ、向こうのアパートでべてくれ。……修平、お、美里さんに飯作らせて当たりだとうなよ。自分の靴くらい自分で洗え」

「分かってるよ、親父」

修平が苦笑いしながら、い段ボールを抱えげた。 その背には、ヶの頼りなさはもうなかった。

居として借りたのは、さなLDKの賃貸マンションだった。 狭いけれど、当たりのいいリビング。 で選んだ製のダイニングテーブル。

引っ越しから数週が経った、ある曜の朝のことだった。

所沢の実の様子を見に、で顔をした。 事に連絡を入れずに寄ってしまったため、勝から声をかける。

「お義母さん、いますか?」

引き戸をけると、台所からコトコトと鍋の煮える音が聞こえていた。

覗き込むと、わずが止まった。

コンロのにっていたのは、義父の正志だった。 チェック柄のエプロンをぎこちなくにつけ、お玉を片に、眉に皺を寄せて鍋を覗き込んでいる。

「おい、千代。噌はこれくらいでいいのか?」

ダイニングテーブルには、義母が座っていた。

広告

聞を広げ、鏡をのに乗せながら、元のお茶をすすっている。

「ちょっとないわよ。……あ、でも、お父さん減塩なんだから、それくらいでいいのかしら。あー、もう、見てるとをしたくなっちゃうわね」

義母はちがりかけ、ハッとしたように自分の腿を叩いて、再び子に腰を落ち着けた。

「、。……お父さん、焦がさないようにをめなさいよ」

「分かってるよ、うるせえな」

器用な会話。 鍋からちる湯気は、以のような息詰まる緊張ではなく、どこか抜けで、けれど穏やかな匂いがした。

「こんにちは」

私が声をかけると、は弾かれたように振り返った。

「あら、美里さん! 修平も!」

義母の顔が、パッとるくなった。 ちがった義母のには、さな包みが握られていた。

「ちょうどよかったわ。これ、先週お父さんとってきたのよ」

テーブルのに置かれたのは、津温泉の温泉饅の箱だった。 鮮やかな包み。 角が、しだけ器用に折られている。

「何もしないで、ぼーっとお湯に浸かってきたの。朝ご飯もね、部まで運んでもらって……本当に、何もしなかったわ」

義母は恥ずかしそうに、けれど誇らしげに目を細めた。

「美しかったわ、様の作ってくれたご飯」

「そうでしたか。よかったですね、お義母さん」

私が微笑むと、義母は私の顔をじっと見つめ、さく頷いた。

広告

その目にはもう、かつてのはどこにもなかった。

翌週の曜。

私たちのしいマンションの台所で、朝からカチャカチャと音がしていた。

ベッドから抜けし、リビングのドアをける。

朝のが差し込むキッチンで、修平がフライパンを握っていた。 コンロの加減を気にしながら、菜箸で懸命に卵を巻こうとしている。

「……修平さん?」

修平がビクッと肩をねさせ、バツの悪そうな顔で振り返った。

「あ、起きた? 起こすつもりなかったんだけどさ」

皿のに、格好な黄い塊が乗せられていた。 角は丸く崩れ、端のほうには茶い焦げ目がくっきりとついている。 お世辞にも「美しい」とは言えない汁巻き卵。

「YouTube見てやってみたんだけどさ……難しすぎるな、これ。汁入れすぎたら全然固まんないし、焦げちゃうし」

修平はを掻きながら、皿をテーブルのに置いた。

「……えるかな、これ。失敗したかも」

私はテーブルにつき、箸を取った。

焦げ目のついた端の破片を挟み、へ運ぶ。

ジュワッと、しめの汁が舌のに広がった。 ほんのし、塩気がい。 形もいびつで、滑らかさもない。

けれど、芯までしっかりとが通り、温かい湯気が喉の奥へと滑り込んでいく。

「……どう?」

修平が、恐る恐る私の顔を覗き込んできた。

私は箸を置き、夫の顔を見つめた。

「ちょっと、しょっぱいかな」

修平の顔がけなく歪む。

「あー……やっぱりか。塩ひとつまみっていてあったのに、ドバッと入っちゃったんだよな」

「でも」

私はもう、卵焼きをに運んだ。

「美しいよ。すごく、温かい」

修平は瞬きょとんとした、照れくさそうに笑った。 「そっか。よかった。次はもうし汁と塩のバランス、練習するよ」

向かいって座り、で格好な卵焼きをつつく。 窓のでは、の気配を含んだが、の葉をカサカサと揺らしていた。

ふと、あのの朝の景がをよぎった。

婚初の朝、ゴミ箱の底に沈んでいった、黄の汁巻き卵。 あの、私はっていた。 完璧な料理を作り、完璧な嫁として認められなければ、このに私の居所はないのだと。

けれど、違っていた。

庭に本当に必だったのは、誰かが完璧な料理を作り続けることではなかった。 格好でも、し焦げていても、失敗した付けであっても。 誰かが自分のためにを込めて用してくれたそのを、お互いが逃げずに、ちゃんと座って受け止めること。

ただ、それだけのことだったのだ。

「修平さん、お茶淹れるね」

私がちがると、修平が「俺がやるよ」と急須にを伸ばした。

湯呑みからちるい湯気が、朝ののに溶けていく。 私たちのしい活が、温かな匂いとともに、静かに息づいていた。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: