"台所の生贄、義母の黒革手帳" 第9話
蝉の声が、まるでしい世界のファンファーレのように、らかに響き渡っていた。
背から、文恵の泣き叫ぶ声と、修造の号、そして達也が私の名を叫ぶけない声が追いかけてきた。 だが、私は度も振り返らなかった。
駅からタクシーを呼び、翼を預けていた所の児童館へと向かった。 「ママ!」 駆け寄ってきた息子のさな体を抱きしめたとき、初めて私の目から温かい涙が溢れた。 「ごめんね、翼。お待たせ。……おうちに帰ろう」 「うん! 幹線乗る?」 「ええ、番速いやつに乗って帰りましょう」
京へ戻る幹線の窓の、緑の々が猛スピードで方へと流れていく。 座席でぐっすりと眠る翼のを撫でながら、私はスマートフォンの画面をいた。
達也から、何件もの着信とメッセージが入っていた。 『頼むから戻ってきてくれ』 『母さんが本当に寝込んじゃったんだ』 『俺たち、族だろ?』
私はそれらを件もくことなく、達也の番号を着信拒否に設定した。 続けて、文恵と美穂、修造の連絡先も、すべてブロックリストへと放り込んだ。
スマートフォンをバッグの底に沈め、くシートにを沈める。 窓ガラスに映る自分の顔を見た。 疲れてはいたが、その瞳には、ここ数見たこともないような、澄み切ったが宿っていた。
あれから、が過ぎた。
婚協議は、予通り難航した。
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達也は当初、頑なに婚を拒否し、「なの爆発だ」「やり直せる」とを送りつけてきた。修造からも「森の恥晒しが」と罵倒の話が私の職にかかってきたが、私が雇った女性弁護士が毅然として対応し、職への接禁止通を送ると、度と連絡は来なくなった。
決定打となったのは、私が提した証拠の数々だった。 文恵の黒革の台帳の全ページのスキャンデータ。 にわたる私の帳に記された、義実での詳細な労働記録と罵倒のメモ。 そして、あの盆のに私が録音していた、での全員の会話データ。 それらを突きつけられた達也側の弁護士は、即座に旗をげた。
養育費の支払いの、特財産の保全、そして公正証の作成。 すべての続きが完し、正式に婚が成したのは、桜の季節が終わる頃だった。
の噂で、そのの森の惨状がに入ってきた。 実のを単独でに入れた美穂は、固定資産税の負担と、寝たきりになった文恵の介護負担に耐えかね、結局実のを値で産業者に売却したという。 修造と文恵は、郊の古びた賃貸アパートへと追いやられ、老老介護の果てに、文恵は特養の待老となり、修造は誰ともを利かない孤独な老として隣で孤しているらしい。
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そして達也はといえば、親の介護費用と養育費の払いに追われ、会社の独寮で抜け殻のような々を送っているとのことだった。
だが、そのどれもが、今の私にはい異国の来事のようにえた。
のある。 京のれにある、築浅の賃貸マンション。 向きのきな窓から、の夕暮れの柔らかなオレンジのが差し込んでいた。
「ママ、きゅうり切れたよ!」
キッチンのカウンターの向こうから、誇らしげな声が響いた。 学になった翼が、子供用の包丁を両でしっかりと握り、まな板のを指差している。 そこには、し揃いだけれど、瑞々しくつややかに輝くきゅうりの輪切りが、綺麗に並んでいた。
「わあ、! 翼、包丁使うのになったね」 「へへっ、僕、今のお噌汁の豆腐も切るよ!」 「ありがとう。じゃあ、お願いしようかな」
向きのきな窓から差し込む夕暮れのが、居のリビングダイニングを柔らかなに染めげていた。
私は調したばかりの、るい対面式システムキッチンのにち、そのよい空を胸いっぱいにわっていた。 板には、く滑らかな造理が選ばれている。を浴びて淡く輝くその表面には、拭き跡つなく、指先でなぞればすべすべとした清潔なたさが伝わってきた。
以の私なら、台所につだけで胃の奥が鉛のようにくなっていたというのに、今ではこの所につ瞬が、のうちで最もが落ち着くになっていた。