"薬を飲むと、母が消える" 第1話
窓辺の母
あの震で、私のは潰れた。
母は毎、泣きながら、療内科で処方された薬をきちんとむように言う。
でも、私はあの薬が嫌いだった。
むたびに、目のの母がいなくなるから。
だから、2の2週目から、薬を隠すようになった。
2014の2。震から、もうすぐ3かになろうとしていた。仮設宅の壁はかった。隣のおじいさんが夜に咳き込むと、こちらまでよく聞こえた。どこかのの油ストーブのにおいも、ドアの隙から入り込んでくる。この列には8軒のが並んでいて、根もドアも、玄関先のプラスチックの傘てのまで同じだった。引っ越してきた週、私は2度、入るを違えた。
母は、狭いとも言わなかった。毎窓辺に座り、膝に広げたのカーディガンの袖を、ひと針ずつ縫っていた。窓のにあるのは駐と、15センチほど積もっただけ。それでも母は、そこにでもあるかのように、飽きずに眺めていた。
「晩ごはん、残さずべるのよ」
それから、
「薬も、ちゃんとんで」
そう言うとき、母はいつも泣いていた。声はてず、顎を伝った涙が、カーディガンにぽつり、ぽつりと落ちた。
実際に私に薬を渡していたのは、ずっと由紀おばさんだった。母の代の同級で、震のあと、沢からこちらに来て、この狭い仮設宅で緒に暮らしてくれていた。
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薬の袋は蔵庫のに置いてあって、朝と晩、おばさんがそこから取りし、ぬるま湯を入れたコップと緒に渡してくれる。私がみ込むまで、そばで見ていた。けれど私には、そのろで泣きながら薬をむように言っている母が見えた。
薬をんで30分か、1ほどすると、眠くなった。次に目をけたときには、もう窓辺には誰もいない。
折り畳み子が、ひとつあるだけだった。
それで私は、錠剤を舌のに隠すようになった。由紀おばさんがコップを洗いにくと、ティッシュに吐きして、着のポケットに押し込んだ。避難所でもらった黒い着で、ワンサイズきく、ポケットがかった。
その晩、母は朝までいてくれた。
母がカーディガンを縫うのを、私は見ていた。ストーブのが揺れるたび、壁に母のが映った。をいたらいなくなりそうで、何も話せなかった。け方になって、やっと気づいた。晩じゅう縫っていたのに、ほころびはしもさくなっていなかった。
3目。洗濯のにポケットを確かめた由紀おばさんが、度濡れて乾いたティッシュの塊を見つけた。には、錠剤が7、8粒包まれていた。
おばさんは洗濯のにしゃがんだまま、いことちがらなかった。
叱られるとった。でも、おばさんは何も言わず、ティッシュを広げ、薬をひと粒ずつ数えた。
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それからスマホで写真を撮った。
「遥。沢の病院、来週の曜の予定だったけど、にしてもいい?」
「私、病気じゃない」
「じゃあ、おばさんが沢に買い物にきたくなったってことにしよう」
藤井先は40代で、ゆっくり話すだった。机にはティッシュの箱と、細な猫の絵がついたマグカップが置いてあった。診断には「傷ストレス障害。・聴を伴う」とかれていた。おかしくなったわけじゃない、病気だから治療していこう、と先は言った。
由紀おばさんのスマホの写真を見ても、先は顔をしかめたりしなかった。ただ、私に尋ねた。
「この何か、眠れてる?」
「あんまり」
私は細な猫を見つめた。
「お母さんがいるから」
先は、もうお母さんはいない、とも、見違いだ、とも言わなかった。
「もうし緒にいたくて、薬をまなかったんだね」
私はうなずいた。
「話してくれてありがとう。み方は、もう度相談しよう。でも、自分でやめないでほしい」
先は薬をむを調して、きな字で表をいてくれた。由紀おばさんはそれを蔵庫に貼り、鯛の形のマグネットで留めた。
218の午、ドアを叩く音がした。
由紀おばさんがると、い男の声が聞こえた。
「気スタンド、直った。スイッチとコード、替えたから」
聞き覚えのある声だった。
1の半ば、郵便受けにが届いていた。封筒の裏には「黒田修」と、きな字でいてあった。ひと画ずつ、刻みつけたような字だった。私はけずに、燃えるごみの袋に入れた。曜だった。収集は8に来た。
こたつからて、廊の角までくと、ドアのに50をし過ぎたくらいの男のがっていた。濃いグレーの作業着。胸には「黒田務」の刺繍。作業靴には、とがこびりついていた。抱えているのは、うちで使っていた古い気スタンドだった。シェードには、私が学のころに貼ったのシールが、半分剥がれたまま残っていた。
の指が、2本なかった。なくなった指の付け根には、まだピンクのしい皮膚が張っていた。
あのグレーの作業着を見た途端、胸が痛くなるほど臓が速くなって、背にたい汗が流れた。理由は、うまく説できなかった。
そのは由紀おばさんにスタンドを渡さず、おばさんの肩越しにのを見た。やがて、私のところで目が止まった。
「、治ったか」
私はけなくなった。の裏には、震のについた傷痕が2本ある。医者と由紀おばさん以、誰にも話していなかった。
「入れないで」
自分でったより、きな声がた。
由紀おばさんはスタンドを受け取り、礼を言ってドアを閉めた。すりガラスの向こうに、グレーのがいつまでもっていた。
ずいぶん経ってから、ようやくを踏む音がした。ひとごとに、ゆっくりになっていった。
部に戻っても、まだが震えていた。
母は窓辺に座っていた。
昨夜も、今朝も薬はんだ。それなのに、母はそこにいて、膝のにのカーディガンを広げていた。私ではなく、玄関のほうを見ていた。
夕方、野のおばあちゃんが煮物を持ってきた。76歳。のの斜め向かいにんでいて、震のは自宅の玄関に埋まり、翌朝助けされただった。根と油揚げと鶏肉を鍋いっぱいに煮て、洗ったプリンの容器に分けにしてくれていた。
おばあちゃんは容器を置いても帰らず、玄関のがりかまちに腰をろし、声を落とした。
「昼来とったの、黒田さんやろ」
私はうなずいた。
「言わんでおこうとったんやけど」
おばあちゃんはポケットからスマホをし、しばらく画面をつついていた。
「町のLINEのグループで回ってきたんよ。見てみ」
画は12秒しかなかった。
暗い画面のあちこちで、懐灯のが揺れていた。崩れたので、男のがカメラに背を向け、両腕を広げて誰かを必に止めている。
「今は入るな!」
濃いグレーの作業着を着ていた。
画のには、誰かが文字をつけしていた。
〈務の男が救助を妨害〉
「消防団にも入っとるんよ、あの」
おばあちゃんは続けた。
「それにな、1にお宅を公費で壊したやろ。そのの晩、トイレに起きたら、あののい軽トラが、お宅のあったとこに止まっとったんよ。にライトつけて、台所のほうの瓦礫から、ひとりでをに運んどった。夜にやよ。何を運んどったんやろうね」
おばあちゃんが帰ってから、画をもう度見た。それから、もう度。
3度目に、埃のにおいがした。
暗かった。脚に何かが載っていた。顔のすぐそばに、母のの袖があった。私はそれを握っていた。荒れた、埃まみれのが、その袖をつかんで引っ張っていたのも覚えている。
それから、母がどんどんくなった。
その先は、何もいせない。
誰にも話していないことが、ひとつあった。藤井先にも言っていない。あの袖は誰かに引きちぎられたのか、それとも私が、自分でをしたのか。わからなかった。
スマホをして、母とのやり取りをひとつずつ遡った。スーパーの特売チラシ。所の猫の写真。文字をきくするにはどうしたらいいのか。沢はもうがったのか。私の返事はなくて、「うん」「わかった」「今忙しい」、そんなものばかりだった。
10の半ばまで戻って、指が止まった。
振込用の写真だった。母は「これでってるか見て。窓の、忙しそうで」と送ってきていた。私は「ってる」とだけ返していた。
写真を拡した。
振込先、黒田務。
額、1,200,000円。
母はセンターのパートで、の料は10万円にもならなかった。買い物は夕方の値引きを待ち、ダウンジャケットは8着ていた。私の成式の振袖だって、レンタルだった。
震の1週、話があった。台所を直すから、週末に帰ってこられないか、と。
「いくらかかるの」
「のことは、気にしなくていいの」
「私、もう23なんだけど」
「23でも、お母さんの子でしょう。帰ってきたら、ちゃんと話すから。卵焼き、作って待ってる」
じゃあ、そっちで勝にやって、と私は言った。
それでも結局、1休を取って、曜の午に帰った。着いたのは4過ぎだった。母は台所でねぎを刻みながら、卵焼きはの朝にしよう、今夜はカレーね、と言った。
話は、聞けないままだった。
集会所から戻ってきた由紀おばさんは、私が持っているスマホを見た。受け取って画面を確かめると、さっと顔を変えた。スマホを伏せてテーブルに置き、へようとちがった。けれど、玄関で止まった。私に背を向けたまま、肩をきくさせていた。
振り返ったときには、もう声を抑えていた。
「あの、おばさんは沢にいた。が通れなくて、避難所に着けたのは次のの午。現で何があったかは見てない。誰かをかばうようなことは、言えない」
「あの、私が持ってたものって、まだある?」
おばさんはいこと私を見てから、自分の引きしの奥から、チャックつきの袋をしてきた。
「救護所で、あの朝、遥が自分で預けてきたの。渡していいか、ずっと迷ってた」
に、青いものが丸まっていた。しわだらけで、何の形かわからなかった。
私はけずに、黒い着のポケットへ入れた。薬を隠していたのと、同じポケットだった。
「、務にく」
由紀おばさんは止めなかった。蔵庫からペンを取り、ホワイトボードに線を引いて、私に渡した。
「どこへ、誰とくか。何に帰るか。全部いて。それが条件」
私はいた。
〈由紀おばさんと黒田務へ。12までに帰る〉
窓辺の母は、まだ玄関のほうを見ていた。
泣いていた。