"偽装結婚と消えた二十四の図面" 第17話
……敷の隅には、あのがそのまま残っていましたよ」
俺は図面のを指先でトントンと叩いた。 設計者の欄には、『妹尾介』と記されている。 そしてその、『建築主』の欄は、つの枠に分かれていた。つには『妹尾介』と印刷されている。 そしてもうつの枠は、のまま空けてあった。
「……を建てるには、基礎事から完成まで以かかります。ですから、このの契約期はじゃりません」
俺はまっすぐに冴子の瞳を見つめた。
「この契約は、です」
冴子の目から、粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「、あなたは俺の名を守るために、自分の名を危険な図面にいてくれた。……今度は、俺のの図面の隣に、あなたの本当の名をいてください」
俺は胸ポケットから、あの塗装の剥げた製図用シャープペンシルを取りし、冴子の震えるのひらにそっと乗せた。 、彼女がの俺に渡してくれた、すべての始まりのペンだった。
「むの命を預かる線。……俺はこのペンで、あなたから教わりました」
冴子は震える指でペンを握りしめ、溢れる涙で界を滲ませながら、の欄へとペン先を滑らせた。 カチリ、カチリと芯が鳴る。
『妹尾 冴子』
入籍したあのから、類の苗字は妹尾になっていた。 だが、彼女が自らので、と誇りを持ってその名を刻む姿を、俺は初めて目にした。
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図面の方のに、涙の雫がポタリと落ちて広がった。 あのの粒だけの絶望の涙とは違う、温かなを帯びた涙だった。
冴子は図面のから緑の婚届を引き抜くと、涙で濡れた顔で笑いながら、それを真っつに引き裂いた。
「……元の神社でね、神様にお願いしたの」
冴子はしゃくりげながら、子どものように告した。
「『このと、だけじゃなくて、緒にいられますように』って。……仕事のお願いだなんて、嘘をついてごめんなさい」
俺は腕を伸ばし、彼女を力く抱きしめた。 窓のを見ると、いつのにかたいは止んでいた。の切れから柔らかなのの陽が差し込み、テーブルのの図面を眩しく照らししていた。
のに始まった歪な契約は、がりの朝に消えった。 そして今、解けることのないしい絆が、のに結ばれたのだ。
翌の。 かつて蔵さんが暮らしていたい丘のの敷に、い軒を持つ美しい平のが完成した。 庭の隅にそびえる古の柿のには、今も見事な朱の実がたわわに実っている。 派な結婚式は挙げなかった。だが、棟式のには、桜台の民たちが作りの料理を抱えて勢駆けつけてくれた。
今は、川さん夫婦と赤親方、そして弁護士が遊びに来ていた。
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「どれどれ」 川さんのご主が悪戯っぽく笑いながら、真しい無垢の檜の縁側にガラスのビー玉を置いた。 ビー玉は微だにせず、漏れを浴びてキラリと輝いた。 「格! これ以のは、本探してもありませんな!」 ご主が活に笑い、赤親方が俺の背をバチンと叩いた。
縁側の端には、穏やかな顔つきになった冴子の父親の姿もあった。社を退いてから肩の荷がりたのか、しさく見えた。 冴子が淹れたての緑茶を差しすと、父親は柿のを見げながら、しみじみと呟いた。 「……親父のだな」 「ええ。おじいちゃんのよ」 冴子は優しく頷き、父親の隣にそっと腰掛けた。
冴子は約束通り篠原ホームを完全に退職し、今は俺のさな設計事務所で、きりで机を並べている。
夕暮れ、縁側に座った冴子が、俺がしく引いた設計図を膝ので広げていた。には、あの真のサインペンが握られている。
「妹尾先、ここ、耐震壁の配置がし偏っているわ」
「すみません、篠原部」
「では、部って呼ばないでって言ってるでしょう」
冴子はくすりと笑うと、図面の隅にさな赤いペンをらせた。 丁寧な致で、さな丸が描かれる。 そしてその横に、かつてノートの片隅にかれていたのと同じ言葉が、以よりもずっと柔らかく丸みを帯びた文字でき添えられた。
『このは、きっとくを守るわ』
に俺をクビにした元司は、今、俺のの隣で、世界で番厳しく、世界で番おしい赤ペンを握り締めている。
柿のを揺らすので、冴子が柔らかく微笑んだ。 このの笑顔を守る線なら、俺は命ある限り、どこまでも真っ直ぐに引き続けていける。