"夫の会社に弁当を届けたら「昔の知人」にされた" 第16話
トラックへ積み込みますね」
業者のスタッフが爽やかに会釈をして部をてく。
私はコートを羽織り、玄関にった。 スニーカーの紐をしっかりと結び直す。
「……結」
背から、掠れた声がした。 夫がふらふらと廊へてきて、ドア枠に縋り付くようにして私を見ていた。
「俺……これから、どうすればいいんだよ」
そのけない問いに、私は振り返らず、を向いたまま答えた。
「自分で考えて。歳なんだから」
ガチャリ、とドアをける。 の爽やかなが、廊を吹き抜けて私の頬を撫でた。
「さようなら、直さん」
ドアを引いた。 い属音がして、鍵が内側から閉まる気配はなかった。 私は度も振り返らず、エレベーターへと歩きした。
それから、半が過ぎた。
季節は巡り、京のにはたく引き締まったの空気が満ちていた。 目黒駅から徒歩分、築浅のさなマンション。 向きの窓からは、柔らかな朝の陽が部いっぱいに差し込んでいる。
畳のワンルーム。 必最限のシンプルなベッドと、無印良品の製デスク。 壁には、私が最がけたしいハーブティーのパッケージデザインが、誇らしげに額装されて飾られている。
夫との婚調は、先、正式に成した。
あの、夫は会社でのを完全に失ったと聞いた。 野寺彩が事部へ正式にパワハラと環境悪化の相談を持ち込み、夫が内の病気を利用して期にわたり虚偽の申告を繰り返していたことが問題された。
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営業の線からされ、総務の類理係のような閑職へ異になったらしい。 みなとみらいのマンションはもちろんキャンセルになり、違約を払った夫は、横浜のれにある築古の造アパートにで引っ越したという。
義母からも、最初は狂ったように抗議の話やが届いた。 けれど、弁護士をてて「これ以付きまとうなら警察に接禁止命令を申請する」と通告した瞬、潮が引くように連絡は途絶えた。 世体を何よりも恐れるたちだ。 公の関の名をされただけで、ももなくなる。
夫からは、調のでも何度も復縁を懇願された。 「反省している」「もう度チャンスをくれ」「今度こそおを番に切にする」 調委員ので涙を流す夫を、私はガラスの向こうの赤のを見るような目で見つめていた。
度失われた信頼は、どんなに美しい言葉を塗りねても、元には戻らない。 壊れた器を接着剤で継ぎわせても、を入れたら漏れすのと同じだ。 私は銭の慰謝料も求めず、ただ共財産の正当な分割と、度と私のに関わらないことだけを条件にして、婚届に判を押させた。
キッチンのコンロで、さなフライパンがよい音をてていた。
ジューッという、ばしい音。 醤油とみりん、酒、そしてしの姜が混ざりった、甘辛いりが部いっぱいに広がる。
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鶏もも肉の表面に、こんがりと綺麗な照りがついていく。 菜箸で裏返し、タレをスプーンで回しかける。
照り焼きチキン。
あの、横浜のオフィスへ持ってき、受付のカウンターに置きりにしてきた、あの料理。
隣のコンロでは、さな卵焼き器で卵を焼いていた。 ハート型になんてしない。 形をえる必もない。 汁をしめに入れて、甘さ控えめに焼いた、私好みのシンプルな黄い卵焼き。
炊きたてのご飯を、しく買った曲げわっぱの弁当箱に詰める。 そのに、丁寧に切り分けた照り焼きチキンを並べ、卵焼きと、昨漬けておいたキャベツのピクルスを添える。 緑のインゲンを散らすと、彩り鮮やかな、美しいお弁当が完成した。
ちりめんの呂敷ではない。 お気に入りの欧柄の、真っ青なリネンクロスで包む。
キュッと結び目をえたとき、ふと、自分のが見えた。
薬指にあったい跡は、半というの経過とともに、綺麗さっぱり消えっていた。 そこには、々の活を自分ので営んでいる、健康な皮膚のが戻っているだけだった。
計を見る。 午分。
「よし」
さく声をして、私はバッグにお弁当箱を滑り込ませた。
デザイン戦略のチーフとしての仕事は激務だけれど、毎が充実していて、自分ので面を踏みしめてっている覚がある。
玄関で、お気に入りのパンプスにを入れる。 鏡を覗き込むと、そこには歳の、どこにでもいる、けれど誰の付属物でもない、私自の顔があった。
あの、横浜のオフィスで、夫から「昔からのりい」と紹介された瞬。 私の世界は度、音をてて崩壊した。 自分が妻であることを証したくて、必にもがいて、惨めで、悔しくて、仕方がなかった。
でも、今は分かる。 誰かに認められなければできないような関係なら、そんなものは最初から族でも何でもなかったのだ。
妻であるに、私は私だ。 誰かの許がなければ入れないような所に、私のはない。
ドアノブにをかけ、押しける。 眩しい初のが、私の全をまっすぐに照らしした。
く息を吸い込むと、たく澄んだ空気が肺の奥まで満ちていく。 私は度も元を迷わせることなく、京のへ向かって、力く歩き始めた。