"愛人の妊娠と封印されたカルテ" 第4話
「……愚かな」
私はさく呟き、その診断のコピーをスーツケースの内ポケットに滑り込ませました。
りはありませんでした。ただ、これから彼らにりかかるであろう運命の輪郭が、あまりにも鮮に見えてしまい、背筋にたいが吹き抜けるような覚を覚えただけでした。
翌朝、夜がけきらないうちに、私はをました。
まだ誰も起きてこない静まり返った敷の玄関で、靴を履きました。
振り返ると、の私の汗と涙とため息を吸い込んだ古いが、暗のに沈んでいました。
鍵を玄関の駄箱のに置き、い引き戸を静かに閉めました。
カチャリ、と錠が落ちる音が、私のの第章の終わりを告げていました。
にると、晩のたい朝の空気が肺いっぱいに広がりました。
そのたさが、信じられないほどよかったのです。
駅のビジネスホテルに数滞し、私はすぐにしい活の続きをめました。
まず役所へき、婚届を提しました。敏夫が私に丸投げしてきたそのを窓にし、私の戸籍を旧姓のに戻しました。
次に、産を回り、駅から徒歩分ほどの所にあるさな賃貸マンションを契約しました。
築、ワンルームにさなキッチンがついただけの、の敷に比べれば雀の涙ほどの広さしかない部でした。
広告
けれど、向きのきな窓からはかな陽が燦々と差し込み、が通り抜ける素らしい部でした。
カーテンを買い、さないベッドと、さなテーブルを置きました。
器も、自分分だけを揃えました。欠けてもいない、誰のおがりでもない、真っな磁器の皿とマグカップ。
最初の夜、部のかりを消してベッドに横たわったとき、私は涙が止まらなくなりました。
それはしみの涙ではありませんでした。
の朝、に起きなくてもいい。
誰かの嫌を伺いながら息を潜めなくていい。
「役たず」と罵られる恐怖に怯えなくていい。
私は自由になったのだという、全の細胞が歓に震えるような、堵の涙でした。
私のしい活は、静かに、そして驚くほど穏やかに始まりました。
培ってきた帳簿付けや事務処理のスキルを活かし、元のさな会計事務所でパートタイマーとしての職を得ることができました。所も同僚たちも穏やかなたちばかりで、私が真面目に仕事をこなすと、当たりのように「ありがとう、さん」「本当に助かるよ」と言ってくれました。
もの、度もかけられたことのなかった「ありがとう」という言葉が、荒れ果てていた私のに、乾いた砂にが染み込むように広がっていきました。
広告
朝、自分で淹れたコーヒーのりを楽しみ、トーストをかじる。
夕方、スーパーで自分のべたいものだけを買い、さな鍋で簡単なスープを作る。
休はベランダに置いたシクラメンの鉢植えにをやり、図館で借りてきた本を読む。
これほどまでに、世界は美しく、静かで、優しいものだったのかと、歳を過ぎて初めてりました。
方その頃、私がったあの敷では、敏夫と義母、そして莉奈の奇妙な共同活が始まっていました。
その様子は、の噂として私のにも入ってきました。
私の学代からの友で、敏夫の実の所にんでいる聡子が、あるお茶に誘ってくれたのことです。
「恵子、本当にあんなをて正解だったわよ」
聡子は運ばれてきた茶のカップを置きながら、呆れ果てたように眉を寄せて言いました。
「今、あの、所でもものすごい噂になってるんだから」
「噂?」
「そうよ。敏夫さんが連れ込んできたあの若い女……莉奈さんだっけ? 最初のうちは『お腹に跡継ぎがいる』ってことで、お義母さんも猫がりして、宝だのブランド物のバッグだのを買い与えてたらしいんだけどね。あの女、事を切しないんですって」
聡子の話によると、莉奈は昼過ぎまで寝て起きし、掃除も洗濯も切をつけず、義母が「しは伝いなさい」
と言を言うと、「私、今事な期なんです。お腹の赤ちゃんにストレスがかかったらどうするんですか? 流産でもしたら、お義母さんのせいですよ」