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"朝四時の弁当を捨てた夫が、五分後にすがりつく理由" 第3話

「き、貴様……!」

正彦がを振りげた。 空気がひやりと張り詰める。 昔から、言葉で言い返せなくなると、このはこうして力でねじ伏せてきた。

けれど、私は歩も退かなかった。 顎をげ、その目を真っ直ぐに見据える。

殴るなら、殴りなさい。 その瞬、私は警察を呼び、今の試会どころか、あなたの社就任そのものを終わらせてあげる。

私の瞳に宿る異様な静けさに気圧されたのか、正彦の腕が空でピタリと止まった。 その震える拳のやりを失ったように、正彦は舌打ちをして玄関へと引き返した。

その、正彦のポケットで再び話が鳴った。 央厨の責任者、森田さんからだった。

正彦は慌てて通話にると、スピーカーの音量をげることも忘れ、喚くように指示をした。

「森田か! 今すぐ凍の鶏モモを解凍して、照り焼きを作れ! タレは販の業務用のやつをベースにして、し甘めに仕げろ! 黒ロジスティクスの試がに繰りがったんだ!」

受話器の向こうから、森田さんの困惑しきった声が漏れ聞こえてくる。

『え……? 社、何を言ってるんですか? 黒さん向けのサンプルは、社がご自宅から持参される筈でしょう? うちの厨にある調料じゃ、あの指定された塩分と保性の基準をクリアできませんよ! タレを煮詰めたらめたにカチカチになります!』

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「いいからやれ! 見栄えだけそれっぽくえれば、向こうの担当者に分かるわけがないだろうが! くしろ!」

方に話を叩き切ると、正彦は拓也に向かって叫んだ。

「くぞ拓也! をせ!」

「は、はい!」

拓也は慌ててのキーを掴み、父親のに続いた。 織さんもりで玄関へ向かいながら、り際に度だけ、私の方を振り返った。 その顔には、先ほどまでの媚びるような笑みはなく、どこか怯えたような、測りかねるようなが浮かんでいた。

バタン、とい玄関のドアが閉まる。 が急発し、砂利をねげてりる音が、ざかっていった。

が、い静寂に包まれる。

私はキッチンの換気扇を止め、洗面台で顔を洗った。 鏡に映る自分の顔は、青ざめてはいたけれど、瞳の奥だけは驚くほど冴え渡っていた。

リビングを通り抜け、廊の突き当たりにあるさな納戸兼、私の事スペースへ向かう。 机の引きしの最段。 古いミシン糸や計簿の奥から、私は分いの束を取りした。

B5サイズの、ごくありふれたキャンパスノート。 それが全部で、冊。

表をめくると、几帳面な文字でびっしりと記録がき込まれていた。

【鶏モモ肉の保率実験――加の分流失を防ぐための塩麹比率】 【量調理における蕗の繊維崩れ防止――茹で温度と浸漬の相関】 【配送を定した付け――塩分濃度・%における温の官能評価】 【仕入れ単価と歩留まり――あたり原価百円達成のための代替部位検討】

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過分。 正彦が会社で「俺のひらめき」「独自の付け」として取引先に自してきた惣菜の、すべての元データがここにあった。

ふと、ノートの表に目を落とす。 にいてあったはずの私の名――「林美代子」の文字は、太い赤の油性マジックで無残に塗りつぶされていた。 そのに、正彦の乱暴な跡で、こうきされていたのだ。

【林 発部秘伝】

私のを削って集めた数字も、試錯誤の夜も、すべてこの男の「柄」として塗り替えられてきた証拠だった。

私はノートを静かに撫で、引きしには戻さず、机のに積みねた。

計の針は、午を回ろうとしていた。 黒ロジスティクスの会議で、今頃どんな無様な景が繰り広げられているか、私にはに取るように分かっていた。

午。 玄関の引き戸が、乱暴に蹴破られるような音をてていた。

い音が廊をドタドタとみ、リビングのドアがねがる。 入ってきたのは、ネクタイを胸元まで引きげ、額にべっとりと汗を滲ませた正彦だった。

にした黒いアタッシュケースを、ダイニングのに叩きつける。 ドスン、という鈍い衝撃音がった。

「……おい」

絞りすような、ひび割れた声。

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