みかん小説
本棚

"朝四時の弁当を捨てた夫が、五分後にすがりつく理由" 第1話

ガチャン、と鈍い音がキッチンに響いた。

来がったばかりの段が、ゴミ箱の底へ叩きつけられた音だった。

「今から俺は代表取締役だぞ。こんな貧乏くさい飯、誰がうか。で恥をかかせるな」

仕てろしの濃紺のスーツにを包んだ夫――正彦が、ネクタイを乱暴にえながら吐き捨てた。 元には、私が今朝の午に起きて詰めたばかりの弁当。 蓋がれ、湯気をかすかに残した鶏の照り焼きと、汁を吸わせた蕗の煮物が、黒いゴミ用ポリ袋の底に散らばっていた。

ダイニングテーブルの脇には、息子の拓也と、その妻の織さんがっていた。 は今、正彦の社就任の初社に同するため、朝くからがに来ていたのだ。

「そうですよ、お義父さん。これからは毎、料亭やホテルの会なんですから」

織さんが笑いを浮かべながら、夫の顔を窺うように言った。 隣で拓也も、誇らしげに父親の肩を見つめている。 とも、に転がるゴミ箱には線すら向けない。

私――美代子は、まな板を拭いていた布巾を両で握りしめたまま、けずにいた。 指先が、え切っていくのが分かる。

。 このが脱サラしてさな弁当を始めたあのから、私はずっと台所にち続けてきた。 朝の仕込みも、何百回と繰り返した試作も、すべて「族のため」

広告

だと信じて疑わなかった。

その結果が、これだ。

「……あなた。それ、本当にいらないのね?」

乾いた喉から、なんとか声を絞りした。 正彦は革靴を履き替えながら、忌々しそうにをひらひらと振った。

「いらないと言ったら、いらないんだよ。がくなったのか? 目障りだからさっさと集積所にしてこい」

「分かったわ」

私はそれ以、言も返さなかった。 ゴミ箱から青い指定ゴミ袋を引きし、をきつく縛る。 ずっしりとしたみが腕にかかる。 鶏肉をの晩から特製の塩麹と姜醤油に漬け込み、めても肉質がくならないよう、入れの秒数まで計算し尽くしたみだった。

へると、のたい朝気が頬を刺した。 ちょうど通りの角から、収集のけたたましい音楽が聞こえてくる。 作業員のによって、青いゴミ袋は回転する投入の奥へと吸い込まれ、バリバリと鈍い音をてて砕かれていった。

もう、度と戻らない。 胸の奥で、何かが静かに、けれど決定に千切れる音がした。

に戻り、を洗ってエプロンをそうとした、そのだった。

リビングに置いてあった正彦のスマートフォンが、けたたましく震え始めた。

画面にる文字を見た瞬、正彦の眉がぴくりとねた。 【黒ロジスティクス 藤原様】

元に設された、敷面積数万平米を誇る型物流センター。

広告

パートやドライバーを含め、数百の昼を賄う事業のコンペ。 初度の定売は、およそ千万円。 零細から抜けし、方の堅企業へと脱皮するための、会社にとって社運を賭けた案件だった。

正彦はわざとらしく咳払いをし、社の顔を作って通話ボタンを押した。

「あ、黒ロジスティクスの藤原様! おはようございます。本はにお伺いする筈で――」

相の声は、スピーカーから漏れるほど緊迫していた。 を交えない、氷のようにい女性の声。

『林社、急で申し訳ありません。本部の京張が急遽繰りがりました。試サンプルの確認、今から、半に変更していただけますか』

「え……? は、半ですか?」

正彦の声が裏返る。

『ええ。現の交代勤務者向けに、めても塩分と旨が保たれているか、本部が直接召しがって最終判断をします。約束のサンプル、もちろん仕がっていますよね?』

「も、もちろんです! 完璧なものをご用しております!」

『では、本社会議でお待ちしています』

通話が切れた。 正彦は受話器を握りしめたまま、数秒、のように固まっていた。 そして次の瞬、血相を変えてキッチンへと転がり込んできた。

「おい! 美代子! さっきの弁当箱はどこだ!?」

私はシンクのにち、濡れたをタオルで拭きながら、夫をただ見つめた。

「ゴミ箱にあった袋なら、にしたわよ」

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: