"挙式前夜に「家を寄越せ」と迫る娘と、席を捨てた母" 第10話
気を消し忘れたのだろうか。
「健司さん……?」
私は静かに声をかけながら、引き戸にをかけ、しだけ引いた。
内の景が目にび込んできた瞬、私の呼吸が喉の奥で止まった。
畳の央に、きくかれた黒い型のスーツケースが置かれていた。 その周りには、几帳面に畳まれたワイシャツ、スラックス、セーター、そして健司さんが切に使い込んできた本や帳が、然と積みげられていた。
タンスの引きしはすべてけ放たれ、健司さんの私物は、すでに半分以が箱のに収められていた。
健司さんは、に膝をついたまま、持っていた着を丁寧につ折りにしているところだった。
「……健司さん」
声が震えて、うまく音にならなかった。 の爪先から、たい悪寒がいがってくる。
「何をしているの……? その荷物……体、何なの……?」
健司さんのが、ぴたりと止まった。
内を満たす、息が詰まるほどの沈黙。 やがて健司さんは、持っていた着をゆっくりとスーツケースのに収めると、静かに顔をげた。
その穏やかで、どこまでも透き通った瞳の奥にあったのは、私と娘の争いからを引こうとする、あまりにも残酷で、決定な覚悟だった。
夜の暗い客。
元に広げられた、型の黒いスーツケース。 畳のには、几帳面につ折りにされた夫のシャツと、使い込まれた文庫本が然と積まれていた。
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「……健司さん」
絞りすような私の声に、夫の背がさくねた。 にしていた着をゆっくりとケースに収めると、夫は静かに振り返った。
その瞳の奥には、りも、みもなかった。 ただ、の底ののようにえ切った、透き通るような諦めだけが漂っていた。
「起こしてしまったね」 夫はいつもの穏やかな調で、さく微笑んだ。 「すまない。の朝、君が起きるに荷物をまとめてていくつもりだったんだ」
「ていくって……どういうこと?」 喉の奥が引きつり、呼吸がうまく吸い込めない。 「どうしてあなたが荷物をまとめているの? さっき、司法士の先のであれだけ真央に言ってくれたじゃない。このを守ってきたのはあなただって……」
「だからだよ、弓子さん」
夫は畳のに両をつき、私を真っ直ぐに見つめた。
「駅の産で、さなワンルームを見つけてね。の午には契約できるはずになっている」
「……は?」 を鈍器で殴られたような衝撃だった。 界がぐらりと揺れる。
「君と真央ちゃんが争う理由はね、僕なんだ」 夫の声は、残酷なほど静かだった。 「あの子にとって、僕はくなった父親の所にでがり込んできた法侵入者だ。僕という『部者』がこのに居座っている限り、真央ちゃんは君を許さない。母親を奪われたという憎しみを、募らせ続ける」
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「そんなの……あの子の勝な言い分じゃない!」
「勝でも、あの子にとっては真実なんだよ」 夫は淡々と、自分のシャツの襟元を撫でた。 「僕がてけば、このは君と真央ちゃんだけのものになる。あの子もこれ以、君を追い詰める理由はなくなるだろう。賃くらい、僕のと嘱託の料でどうにでもなる。だから……これでいいんだ」
あまりにも物分かりのいい、あまりにも完璧な自己犠牲。
その瞬―― 私の胸の奥底で、溜まり続けていた何かが、激しい音をてて破裂した。
「ふざけないで!!」
私のからびした絶叫は、自分でも驚くほど障りで、凶暴だった。
夫が目を見張り、息を呑む。 、声を荒らげたことなど度もなかった妻の姿に、完全に言葉を失っていた。
私は客に踏み込み、スーツケースのにを突っ込んだ。 綺麗に畳まれたワイシャツを、スラックスを、当たり次第に掴みし、畳のへと乱暴に投げ捨てた。
「何がワンルームよ! 何が『これでいいんだ』なの!? 勝にで劇の主公にならないで!」
「弓子さん、落ち着いて……」
「落ち着いていられるわけがないでしょ!」 涙が界を遮り、喉の奥が焼けるようにい。 「あなたはまたそうやって、物分かりのいい顔をして、私を庇って逃げるのね!? 私と娘の問題だからって、でをかぶって、背を丸めてていく気!?」