みかん小説
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"末席の男が放った三百億の通告" 第38話

真面目な男だという井の物は、寸分の狂いもなく正しかった。

の初旬。

隣のの型物流拠点の竣検査にち会った帰り、俺は元駅のホームで幹線の到着を待っていた。

夕方のをし過ぎた頃で、はすっかり暗く、ホームを吹き抜ける枯らしは肌を刺すようにたかった。

改札へ続く階段のから、紺のウールコートを着た女性が、吐く息をく染めながら歩いてくるのが見えた。

「社さん、お疲れ様」

田貞子だった。

抱えられたトートバッグの膨らみから、図館での勤務を終えて帰宅する途であることがすぐに分かった。

「……その呼び方、やめてくれって言っただろ」

俺が苦笑すると、貞子はコートの襟元をし引きげ、柔らかく目を細めた。

「じゃあ……弘君。それでいい?」

「ああ。それがいい」

それだけのい会話だった。

幹線の接を告げるアナウンスが響く、俺はその何気ない言葉の温もりを、のたいに吹かれながら、胸の奥で何度も噛み締めていた。

同窓会の夜、あの円卓の誰もが、俺の言葉を信じようとはしなかった。

そして翌週、経済誌に記事がた途端、百の同級たちの態度はのひらを返したように変した。

だが――田貞子だけは、最初から最まで、何つとして変わらなかった。

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代、ボロボロの制を着て夜の倉庫で働いていた歳の俺に対しても、売千億円の企業を率いる歳の俺に対しても、彼女は寸分違わぬ温度のまま、ただ言、

『ちゃんと、寝てる?』

と問いかけてくれた。

持っているや肩きのきさに惹かれてづいてくるなど、これからのでいくらでも増えていくだろう。それはビジネスの世界の酷な摂理であり、仕方のないことだ。

だが――自分が何者でもなく、何も持っていなかった極貧のあの頃、ただのとして隣に寄り添い、背を支えてくれたのを、俺はこれからのにおいて絶対に放したくはなかった。

その記憶を魂に刻み続けるために、俺はこれからも、あの港堂の簾をくぐり続けるつもりだ。

貞子は、あの夕暮れの駅のホーム以来、俺のことを『社さん』と呼ぶことは度となかった。

その飾りのない呼び名こそが、俺にとっては、の座に並ぶ百億円という数字よりも、遥かに尊く、確かなものにえてならなかった。

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