みかん小説
本棚

"三十周年に施設へ捨てられた妻と予約主の息子" 第2話

スタッフの顔が変した。 「し、失礼いたしました! 契約続きは直ちに断いたします!」

踵を返そうとした夫が、異変に気づいてを止めた。 信じられないものを見るような目で私を睨みつけ、股で戻ってくる。

「おい真紀! 何を揉め事起こしてんだよ! 亮太の好を無駄にする気か!」

「好?」

私は夫の顔を、の結婚活で度も向けたことのない徹な目で見据えた。

「健康な母親を騙して齢者施設に放り込むことが、あの子の好なの? ……あなた、自分が何を言っているのか分かっているの?」

夫はたじろぎ、線を泳がせた。 だがすぐに、いつもの傲な表で舌打ちをした。

「どうせく宛てなんかないくせにがるな。もう鍵はかないぞ。おの居所はにはないんだ」

「鍵がくかどうかは、私が自分で確かめます」

私はに置かれたスーツケースの持ちを掴み直した。 夫のには乗らない。 受付でタクシーを呼んでもらい、エントランスのへた。 背で夫が「勝にしろ! 悔してもらんぞ!」と鳴り散らしていたが、度も振り返らなかった。

タクシーのシートに背を預けた瞬、奥歯がガチガチと音をてて震えした。 膝のに置いたが、止まらない。 りなのか、恐怖なのか、それともというをドブに捨てられた絶望なのか、自分でも分からなかった。

広告

、歳で結婚した。 歳の、千葉のこの宅に建売の戸建てを買った。 には私の実からの援助も入っていた。 夫が「男の甲斐性だ」と見栄を張って単独名義にしたが、毎のローンのために、私はパートのシフトを増やし、ボーナスの半を繰りげ返済に回してきた。 亮太の学の学費だって、私のパート代を切り詰めて貯めた学資保険からしたのだ。

それを。 あのは、私のごと、粗ゴミのように処分するつもりだったのか。

「お客さん、着きましたよ」

運転の声でに返った。 見慣れた自宅のに、見らぬい軽自が止まっていた。

タクシーをり、スーツケースを引きずりながら玄関へ向かう。

鍵穴に、自分のキーを差し込む。 ……回った。 夫は「鍵はかない」と脅したが、鍵穴を取り替えるまではなかったらしい。

カチャリとい属音がして、ドアがいた。

その瞬、先をかすめたのは、嗅ぎ慣れない匂いだった。 甘ったるい、製の柔剤と、等なが混ざりったような匂い。 、私が換気と掃除を徹底して保ってきた、あのの匂いではなかった。

靴脱ぎに、目を落とす。

私の履き古したスニーカーの横に、見慣れない靴が揃えられていた。 細いヒールの、品なベージュのパンプス。 入れのき届いた質な革。

広告

サイズは・センチほど。私より回りがさい。

廊の突き当たり、リビングへ続くドアのに、段ボール箱がつ、積みげられていた。 表面に、黒の油性ペンで乱暴な字がかれている。

『真紀・類』 『真紀・台所私物』 『真紀・用品』

胸の奥が、ぎゅっと握りつぶされるように痛んだ。

箱の隙から、私がのパートに着ていく毛玉だらけのカーディガンと、使っているエプロンが覗いていた。 暮らした私の痕跡が、まるで遺品理のように箱に詰め込まれている。

その、リビングの奥からトントンと軽やかな音がづいてきた。 ガラス戸がき、の女性が姿を現した。

肩まで綺麗に巻かれた髪。 肌馴染みのいいのニットに、淡いピンクのワイドパンツ。 代半ばといったところだろうか。奇麗で、活のい女だった。

そしてその両には、私がの誕に益子焼の陶器で買った、お気に入りのマグカップが握られていた。

女は私を見るなり、マグカップを持ったまま目を丸くした。

「……え? あの、どちら様ですか?」

声まで、鈴を転がすように澄んでいた。 ので、のカップでお茶をんでいたの声とはえなかった。

私はスーツケースの持ちを握りしめたまま、静かにをいた。

「こののです。

……あなたは?」

女の顔から、さっと血の気が引いていくのが分かった。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: