"23年尽くした妻の追放✕四十九日の愛人親子" 第13話
そして、義母の子。
私がいなくなったには、朝を作るも、病院へ付き添うも、いなくなった。 域包括支援センターの職員が訪ねてきたとき、子は「嫁が逃げた」と泣きついたそうだが、制度は淡だった。 介護認定の申請、配サービスの配、ケアマネジャーとの面談。 すべて、義母自が自分のの範囲内で契約し、自己負担分を支払わなければならない現実が突きつけられた。
誰、労をねぎらってなどくれない。 「ありがとう」の言もなく、当然のように差しされていた23の無償の労働を、彼女は初めて自分の財布から買い取らなければならなくなったのだ。
あるの夜、スマートフォンが震えた。
夫からのLINEだった。
『母さんの腰が急にって、のがゴミ敷みたいになってる。おが作ったあの具沢の豚汁、最無性にべたくなるんだ。昔みたいに、またで暮らせないか』
画面の文字を見つめながら、私はいの記憶をいしていた。
が39度までがり、悪寒で震えながら台所にっていたの朝。 「まだ飯ができてないのか」と嫌そうに聞を広げた夫は、私の青ざめた顔に度も線を向けなかった。
この男が恋しがっているのは、私ではない。 自分を無条件で世話し、愚痴を聞き、尻拭いをしてくれる「便利な召使い」
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のだ。
翌朝、最の通が届いた。
『母さんの寿命が縮んでもいいのか? お、本当に血も涙もない悪魔だな』
私はその通をくことすらなく、指先でメッセージを消し、夫のアカウントを完全にブロックした。
季節が変わり、肌を刺すようなのが吹き始めた頃。
私は、スーパーの舗から歩いて分ほどの所にある、さなアパートへ引っ越した。 階の角部、畳ひとのワンルーム。 さなコンロのキッチンと、ユニットバスがついているだけの、慎ましい部だった。
けれど、窓をけると、午の柔らかなが部の隅々まで届いた。
引っ越しの段ボールを片付けながら、古いボストンバッグの底から、枚のを取りした。 く沈んだの、シンプルなカーディガン。
まだ元気だった頃の義父が、私の誕に「いつもすまないね」と言って、所の料品で買ってきてくれたものだった。 袖がし擦り切れているけれど、放せなかった唯の記憶。
あの病で、義父が掠れた声で遺した言葉が、静かな部に蘇る。
『私がんだら、もうこのに残っちゃいけない』 『おに残ってくれと頼む資格なんて、私にはこれっぽっちもないんだよ』
義父は、っていたのだ。 自分がいなくなれば、あのが私をどうい潰すか。
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そして、私が「恩義」という呪縛に囚われて、自分のをドブに捨て続けることを、誰よりも悔やんでいたのだ。
私はカーディガンの胸元にそっと顔を埋めた。 古いウールの匂いと、微かな防虫剤のりがした。
ハンガーにかけ、部の壁のフックに吊るす。
「お義父さん」
声にして、呟いてみた。
「私、もうあのをましたよ」
議と、涙はなかった。 ただ、胸の奥をく締め付けていた見えない鉛の塊が、すうっと温かいに溶けていくような覚があった。
スマートフォンの画面がくった。 理恵からのショートメッセージだった。
『あの夜、あなたの部で言ったひどい言葉、本当にごめんなさい』
い文。 私は「いいえ」とも「許します」とも返さなかった。 ただ、度だけ画面を見つめ、静かに返信を打った。
『悠斗ちゃんに、の都のツケを払わせないであげてください』
送信ボタンを押し、スマートフォンをテーブルのに伏せた。 これで、すべてが終わった。
計を見ると、針は夕方の半を指していた。
お腹が空いていた。 誰かのために慌てて支度をするではなく、自分の体が純粋にエネルギーを求めている覚。
私はさな蔵庫の扉をけた。 棚のには、卵が個、綿豆腐が丁、刻んだネギ。 そして、昨スーパーの見切り品ではなく、自分が本当にべたくて買った、切れの鮭。
まな板のに鮭を置き、包丁を握る。 お湯を沸かし、引きしから噌を取りそうとして――ふと、が止まった。
私は今、噌汁がみたいのだろうか。
23、夫の好みにわせて毎朝毎晩作ってきた、濃いめの赤だし。 義母が「甘すぎる」と文句をつけるたびに、汁の配を変えてきた噌汁。
私は、を止めた。
噌のパックを蔵庫に戻し、戸棚の奥から、ずっとでべてみたかった辛のカレールーの箱を取りした。 さな鍋に玉ねぎを刻んで入れ、じっくりと炒める。 部に、スパイシーで温かいりがち込めていく。
ぶりに、私は誰にも「何がべたい?」と聞かず、自分のためだけに夕飯を作った。