みかん小説
本棚

"流産を嗤う義母と四十年前の手紙" 第12話

「ごめんなさい」

その言葉が、今、受話器越しに私のに届いていた。 目がくなり、奥歯がガタガタと震えそうになる。 けれど、私のは議なほどえ切っていた。 許すとか、許さないとか、そういう次元の話ではなかった。 失われた命は戻らないし、踏みにじられたの屈辱が消えるわけでもない。

私が何かを言い返そうとをきかけた、そのだった。

受話器の向こうで、バタン!と激しく病のドアがく音が響いた。

ドカドカという乱暴な音。 そして、聞き慣れた夫の甲い声が、受話器の奥から割り込んできた。

『おい母さん! 誰と話してんだよ!? ……え、由美!? 由美と繋がってんのか!?』

話の向こうで、夫が義母から受話器を奪い取ろうとする気配配が伝わってきた。 夫の興奮した、品なまでの歓の声が、スピーカー越しに私のに突き刺さる。

『おい、由美! 聞こえるか!? 良かったよ、母さんがちゃんと謝っただろ!? 母さんも反省してるんだよ!』

夫の息が荒くなっているのが分かる。 反省。 謝罪。 夫にとって、それらは母親のからの懺悔などではなく、ただの「交渉の具」に過ぎなかったのだ。

『な? 母さんもあんなに泣いて謝ってくれたんだから、おももう気が済んだろう!? に流せよ! 来週の曜に母さんの退院が決まったんだ! 今すぐ実に戻ってきて部を片付けてくれ! 俺、もうコンビニ弁当いすぎて胃が痛いんだよ! 母さんの退院祝いの飯も、おがちゃんと作ってくれよな!』

広告

……あぁ。

私の全から、完全に血の気が引いていった。

この男は、何つ変わっていない。 母親がどれほどの痛みを抱えてをげたのかも、妻がどれほどの絶望を抱えてをたのかも、ミリも理解していない。

母親の涙すら、自分を面倒な事と介護から解放し、再び無料の召使いを元に呼び戻すための「免罪符」として利用しようとしている。

どこまでも浅ましく、どこまでも自己保だけの男。

受話器の向こうで、夫が義母を急かす声が聞こえた。

『ほら母さん! ボーッとしてないで、由美にく「戻ってきて病してくれ」って言えよ! 母さんから言えば断れないんだからさ!』

苦しい沈黙が、病を支配した。 受話器を握る私ののひらに、たい汗が滲む。

数秒。

掠れた、けれど芯の通った義母の声が、受話器の向こうで響いた。 それは、私に向けられたものではなかった。 隣で卑しい笑みを浮かべているであろう、実の息子に向けられた言葉だった。

『……健』

『あ? なんだよ母さん、く言えって――』

『私が謝ったのはね……由美さんを、このに呼び戻すためじゃないよ』

病の空気が、凍りついたのが分かった。

受話器の向こうで、プツリと通話が切れた。

ツーツーという無質な切断音だけが、私のの奥で虚しく反響していた。

『健……私が謝ったのはね、由美さんをこのに呼び戻すためじゃないよ』

広告

あの義母が。 、私を「子供も産めない役たず」と見し、息子ので踏みつけにしてきたあの義母が、実の息子に向かって放った拒絶の言葉。 その声の底にあったのは、りではなかった。 自らのを振り返り、が子の浅ましさに底絶望したの、乾き切った諦めだった。

私はスマートフォンをテーブルのに置き、ゆっくりと両で顔を覆った。 涙はなかった。 ただ、胸の奥に張り詰めていた太い鎖が、音をてて砕け散ったような覚だけが残っていた。

あのは、息子の盾になるのをやめたのだ。 そして私もまた、あのの贄になるのをとっくにやめている。

残されたのは、の女にの面倒を押し付け、全な所から見ろしていた男の、空っぽな現実だけだった。

退院のの夜。 私のさなアパートのインターホンが、けたたましく鳴り響いた。

ピンポン、ピンポン、ピンポン――。 隔も置かずに連打される子音。 ドアスコープを覗くと、魚の腐ったような目でドアを見つめる夫がっていた。

には、名デパートの袋。 物のスーツの肩にはの雫がり、ネクタイは斜めに歪んでいた。

私はチェーンをかけたまま、ドアをセンチだけけた。

「……何の用ですか」

隙から漏れた私のたい声に、夫の顔が瞬で引きつった。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: