"恩人面する夫の47分" 第1話
夫の脱ぎ捨てたジャケットの内ポケットから、そのが滑り落ちた瞬だった。
『請:20221118 1854分』
京消防庁の記録用。 父が息を引き取った、あのの搬送記録の控え。
けれど、私の喉がカラカラに乾き、指先が凍りついたのは、そこに印字された刻そのものじゃない。
あの。 夫が会社のセキュリティゲートを通過したログは、1807分だった。
……47分。
夫が父のいる社に入ってから、119番を押すまで。 空の、47分。
呼吸が、喉の奥で詰まった。
「おい、由美。お茶はまだか? 気が利かないな」
リビングの引き戸の向こうから、夫――浩司の声がんできた。 氷がグラスにぶつかる乾いた音。 それに続いて、甲い女の笑い声。
私は震える指先でそのを折りたたみ、エプロンのポケットの奥くへと押し込んだ。
今は、父の目の命――祥命の法だった。 寺での読経を終え、親族や会社の幹部を集めた自宅での宴席。 喪の帯を解くもなく、私は朝からで何分もの料理を運び、酒を注ぎ、空いた皿をげ続けている。
リビングの央、座にふんぞり返る夫の隣には、会社の財務責任者である伊藤美穂の姿があった。 喪を着てはいるものの、首元がきくいたタイトなワンピース。 元には、職のが法事に着けてくるはずのない粒のパール。
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美穂は夫のグラスにそっとビールを注ぎしながら、甘ったるい声を響かせていた。
「社、本当にお疲れ様です。先代が急にいなくなって、あの傾きかけてた会社をここまでて直したんですから。今くらい、ゆっくり召しがってください」
「ああ。親父のやり方は古臭くて話にならなかったからな。あのままじゃ倒産してた。俺が社を継いだからこそ、今の利益があるんだ」
夫は赤ら顔でを鳴らし、グラスを気に煽った。
「うちの妻なんて、ただの飯炊き係だよ。世らずの専業主妇。会社の決算の数字なんて、桁だって読めないんだから」
ドッと、取り巻きの役員たちが卑た笑い声をあげる。
「社の言う通りですな!」 「奥様はを守っていればそれで分ですよ」
美穂はハンカチで元を隠し、私に線をわせることもせず、クスクスと肩を揺らした。 そのつきは、まるでこのの女主そのものだった。
臓の奥が、たく、く縮んでいく。
父が代で築きげた、精密部品の加会社『藤原精』。 社員ほどの、さな町から始まった会社。 現の械油の匂いと、職たちののひらのマメを誰よりもしていた父。
その父が、苦しんで倒れた現を最初に発見したのは、夫だった。
『僕が部に入ったには、もう親父さんは息をしていなくて……』
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、病院のい廊で、夫はそう言って泣き崩れた。 顔を覆い、取り乱し、救急隊員にすがりついていた。
『もっとく気づいていれば……僕がもっとく駆けつけていれば……!』
その涙を、私は信じていた。 父を最まで取ろうとしてくれた恩だと、信じ切っていた。
だから、この。 夫がどんなに私を見そうと、義母から「息子のおかげでわせてもらっている」と嫌を言われようと、唇を噛みしめて耐えてきたのだ。
――でも。
47分? 1807分にビルへ入って、通報が1854分?
夫はずっと、私にも、警察にも、親族にもこう言っていた。 『部に入った瞬、倒れている親父さんを見つけて、が真っになってすぐに救急を呼んだ』と。
じゃあ、あの47分、あのは何をしていたの?
「おい、由美! 聞こえないのか!」
鳴り声とともに、夫がちがった。 元がふらついている。
私は盆を握り直し、ゆっくりとリビングへ戻った。
「申し訳ありません。すぐにお代わりをお持ちします」
「まったく、領が悪い女だ。親父がきてた頃から甘やかされて育ったから、何つまともにできないんだよ」
夫は私のから乱暴に急須をひったくろうとし、その拍子にい茶が私のの甲にねた。 じりっとしたさがる。 それでも、声はさなかった。
美穂がわざとらしく眉をげてみせる。
「奥様、丈夫ですかぁ? でも社、あまり鳴らないであげてください。専業主婦の方には、会社の圧なんて理解できなくて当然なんですから」