"二十八年の遺言、追放された妻" 第4話
私は取っにをかけ、スーツケースを軽く引き寄せた。
「邪魔だから、退いて」
正は慌てて玄関のがり框にちはだかり、両を広げて私のくを遮った。
「おい、由美! お、何ってんだよ!?」
私はしだけ首を傾げた。
「ってないわよ」
「じゃあ、なんでていくんだよ!」
「疲れたのよ」
「何にだよ!」
「……全部に」
私は歩踏みし、玄関のドアの鍵にをかけた。属のたい触が、指先から全へと伝わっていく。
正はさらに焦りを募らせたように、声をずらせて詰め寄ってきた。
「おい! 今、翔太たちがを見に来るんだぞ! お、母親だろ!?」
母親だろ。
その言葉を聞いた瞬、私の胸の奥から、乾いた笑いがこぼれ落ちた。
「昨まで、私に言の相談もなしにを息子に譲るって決められるくらい、あなたで何でも決められるんでしょう? だったら、今もあなたで翔太たちに説できるじゃない。母親なんて、最初から必なかったんでしょう?」
正は完全に絶句した。見かれた瞳が、私の徹な表を捉えて激しく揺れている。
私はドアノブを押しげ、い玄関ドアをけ放った。
朝のたく澄んだ空気が、気にへと流れ込んでくる。私はつのスーツケースをガラガラと転がしながら、敷居を跨いだ。
度も振り返らなかった。
背で正が「おい! 由美!」
広告
と叫ぶ声が聞こえたが、その声は朝のの気のへと、あっけなく掻き消えていった。
通りにてタクシーを拾い、告げたき先は、内の部にある築の落ち着いたマンションだった。
母がくなった、私がで相続しただった。
それまでは賃収入を得るためにに貸ししていたのだが、偶然にもヶ、んでいた賃借が転勤で退し、空になっていたのだ。産会社の担当者から「次の入居者を募集しますか?」と尋ねられたとき、私はなぜか、ほんのしの迷いとともに「しだけ待ってください」と答えていた。
あの、私の無識のどこかで、何かが警鐘を鳴らしていたのかもしれない。
いつか、自分にも逃げ込む所が必になるが来る。このの結婚活の果てに、自分だけのが必になるが来るのだと、本能が察していたのだ。
オートロックをけ、エレベーターで階へがる。
鍵を差し込み、い鉄の扉をけると、そこにはガランとした静かな空が広がっていた。のが退したにクリーニングが入ったばかりの、清潔な部。具は最限、私が以持ち込んであった簡易ベッドと、さなローテーブル、そして備え付けの型蔵庫があるだけだった。
私は靴を脱ぎ、部の央へと歩みた。
広告
窓の鍵をけ、サッシをきく引き分ける。
晩の乾いたが、部のカーテンをふわりと持ちげ、私の頬を優しく撫でていった。
静かだった。
計の針を気にする必もなかった。夫が何に帰ってくるか怯えるように夕の段取りを計算する必もなければ、根の皮を剥く必もない。洗濯を回すのも、自分のが枚か枚あればそれでりる。
それだけのことで、胸の奥をく塞ぎ止めていた鉛の塊が、ふわりと軽くなるのをじた。
しかし、その堵と同に、目尻からい雫がこぼれ落ちた。
頬を伝い、畳のにぽつりと落ちる。
悔しいのか、しいのか、自分でもよく分からなかった。おそらく、その両方だった。という自分のの季節が、こんなにもあっけなく、理尽に踏みにじられたことへの悔しさと、信じて尽くしてきた相にとって自分がその程度のでしかなかったという絶望。
私はに座り込み、両で顔を覆って、しばらくの、声を忍ばせて泣いた。
昼、テーブルのに置いたスマートフォンがけたたましく震え始めた。
画面を見ると、息子の「翔太」の名が表示されていた。
私はく息を吸い込み、涙を指先で拭ってから、通話ボタンをスライドさせた。
「……もしもし」
受話器の向こうから、らかに揺し、焦りを含んだ翔太の声がび込んできた。
『もしもし! 母さん!? 今どこにいるんだよ!? 親父から話があって、母さんがをてったって……!』