"午前二時の着信と百枚の遺言" 第3話
面会制限の厳しい病のガラス越しに、真由さんの姿を見るたび、彼女の体がさく縮んでいくのが分かった。艶やかだった黒髪は抗がん剤の響で抜け落ち、には柔らかなニットを被っていた。磁のように透き通った皮膚のには青い血管が浮き、点滴の管が何本もその細い腕に繋がれていた。
それでも、面会に拓也が千尋ちゃんを連れて現れると、真由さんの瞳にはパッとが灯った。
「千尋、今もいい子にしてた? お父さんの言うこと、ちゃんと聞いてる?」
抱きげる力すら残っていない腕を懸命に伸ばし、ガラス越しに赤ん坊の頬に触れようとする。
「拓也さん、無理してない? ちゃんとご飯べてる?」
「俺はいいんだよ。おこそ、痛みはどうだ。辛かったらするなよ」
「うん、丈夫。護師さんたちが優しいから。……ねえ、千尋の笑顔、昨よりちょっときくなったんじゃない?」
のがすぐ背に迫っていることを、真由さん自が誰よりも自覚していたはずだった。にに増していく麻薬性鎮痛剤の量、医師たちの曇りがちな表、自分の指先からたく抜けていく体温。それでも彼女は、拓也のでは決して音を吐かなかった。ただおしそうに、ガラスの向こうの夫と娘を見つめ続けていた。
の音がづくの末、真由さんは静かに息を引き取った。
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享歳。あまりにもく、あまりにも残酷な旅ちだった。
臨終のにち会った拓也は、たくなっていく真由さんのを握りしめたまま、滴の涙も流さなかった。ただ、蒼な顔で唇を固く結び、呼吸器をされた妻の穏やかなに顔を、穴のくほど見つめ続けていた。
葬儀のも、拓也はまるでを失った精巧な形のようだった。
喪主として々とをげ、参列者への挨拶を淀みなくこなし、親族が泣き崩れる横で、喪の胸元に抱いた数かの千尋ちゃんを静かにあやし続けた。
「拓也、無理するなよ。辛いときは辛いって言え」
葬の待で、私が肩にを置いたとき、拓也は虚ろな線を宙に向けたまま、乾いた声で答えた。
「泣いてる暇なんかないよ。真由がいなくなったんだ。俺がしっかりしなきゃ、この子は誰が育てるんだよ。俺が……母親の分まで、ちゃんとやらなきゃいけないんだ」
その言葉の奥に張り巡らされた、痛々しいほどのがりと孤独のさに、私は返す言葉を見つけることができなかった。
葬儀が終わり、を過ぎてからのか、拓也は周囲との連絡を極端に断つようになった。
実の両親が伝いを申しても、「自分たちできていくリズムを作りたいから」と丁に断り、私が「飯でもいにくか」
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「何か必なものはないか」とメッセージを送っても、「千尋も元気だし、何とかやってる。配いらない」というい返信が戻ってくるだけだった。
で赤ん坊を育て、仕事に復帰し、事をこなし、妻のいない空虚な部で朝を迎える。それがどれほど過酷なことか、像するだけで胸が詰まった。だが、拓也の頑なな自負を壊すことを恐れ、私は踏み込みきれずにいたのだ。
それが、違いだった。
あいつは平気だったのではない。ただ、壊れていく自分のを誰にも見せまいと、必に歯をいしばり、血を流しながら耐え続けていただけだったのだ。
息を切らし、胸の痛みに耐えながら、私は拓也のむ古いアパートの階段を段ばしで駆けがった。
階の突き当たり、〇号。
表札には、まだ「塚本拓也・真由」との名が並んでかれたプレートが残されていた。
ドアノブにをかけると、鍵はかかっていなかった。私は躊躇することなくドアを押しけた。
「拓也!」
玄関に踏み込んだ瞬、腔を突いたのは、微かにち込めるミルクの甘い匂いと、独特の湿り気を帯びた活の匂い、そしてどこか張り詰めた気だった。
靴脱ぎには、脱ぎ散らかされた拓也の革靴と、埃をかぶった真由さんのスニーカーが、綺麗に揃えられたまま置かれていた。
廊を抜け、リビングの引き戸をけた私の目にび込んできたのは、言葉を失うほどの異様な景だった。