"午前二時の着信と百枚の遺言" 第2話
「おい、余計なこと言うなよ」
照れ隠しにビールを煽る拓也の横顔は、それまで見たどんなときよりも穏やかで、幸福に満ちていた。互いに支えい、質素ながらもの射す温かな庭を築いていく。その未来を疑う者など、の周りには誰としていなかったはずだった。
暗転が訪れたのは、結婚して目、真由さんのお腹にしい命が宿ったことが判して、わずか数かのことだった。
初の涼が吹き始めた頃、定期健診のついでに受けた検査で、真由さんの胸に悪性の腫瘍が見つかった。乳がんだった。
しかも、若い女性特の、が極めて速いタイプのものだと告げられた。
らせを聞いて拓也のに駆けつけたの夜の景を、私は今でも鮮に覚えている。
部の照は落とされ、テーブルのにはつかずのえた緑茶がつ並んでいた。拓也はを抱え、指がくなるほどく髪を握りしめていた。隣に座る真由さんは、青ざめた顔をしながらも、お腹のにそっと両をねていた。
「赤ちゃんを、諦めるわけにはいかないの」
真由さんの声は静かだったが、そこには母となった女性の、命を賭した決が宿っていた。
「自分の体の治療を優先すれば、この子を助けられないかもしれない。でも、この子をお腹ので育てながら、できる限りの治療を受けるもあるって、先が言ってくれたから」
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「真由、だけどおの命はどうなるんだよ。俺は……おがいなくなったら、きていけないんだぞ」
拓也は泣いていた。のが、子どものように肩を震わせて涙を流していた。
「拓也さん、丈夫。私、いから。お母さんになったんだもん。絶対にとも助かるよ。だから、緒に頑張ろう?」
真由さんはそう言って、震える拓也のを両で包み込んだ。自らの体ので病魔が音をてて侵していく恐怖に、誰よりも怯えていたはずの彼女が、夫を励ますために微笑んでいた。その痛々しいほどの優しさに、私はただ息を呑み、何も言えずにち尽くすしかなかった。
それからの々は、まさにの砂粒を指の隙からこぼさないよう、必に爪をてるような闘いだった。
真由さんは胎児への響を最限に抑える特殊な抗がん剤治療を受けながら、いつわりと薬の副作用による激しい吐き気、全の倦怠に耐え続けた。真でもないのにや汗を流し、洗面台に突っ伏して嘔吐を繰り返す妻の背を、拓也は夜通し擦り続けた。仕事のを縫って病院へ通い、事をこなし、妻の体にしでも良いとされる材を探し回った。
拓也の顔からは肉が削げ落ち、頬骨が浮きていったが、彼は周囲の「伝おうか」という申しを頑なに断った。
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「丈夫だ。俺が夫で、父親なんだから。俺が全部やる」
その頑なさは、真由さんを失うかもしれないという底れぬ恐怖から目を背けるための、彼なりの防壁だったのかもしれない。
翌の初、奇跡のようにつの命が産声をげた。
予定よりしく、帝王切で取りげられた女の子だった。体は千百グラムとさかったが、保育器ので力くをバタつかせ、透き通った声で泣いた。
「千尋(ちひろ)」と名付けられたそのさな赤ん坊を、術の痛みに耐えながら抱きげた真由さんの顔には、神々しいほどのが満ちていた。
「拓也さん、見て。私たちの赤ちゃん。いね、本当にいね」
「ああ……ありがとう、真由。本当に、よく頑張ってくれた……」
拓也は病のベッドの脇に膝をつき、赤ん坊のさな指を自らの太い指で握りしめながら、声を殺して泣き続けた。
だが、過酷な現実は、その束のの歓すら無慈に奪いっていった。
産を終えたことで、本格で力な抗がん剤治療や放射線治療が再されたものの、すでに病魔は真由さんの体の奥くまで根を張り巡らせていた。リンパ節へ、骨へ、そして内臓へと、転移の報せが次々とされた。
産、千尋ちゃんを抱いて自宅のリビングで過ごせたは、ほんのわずかだった。
を迎える頃には、真由さんは再び無菌病棟のベッドへと戻らざるを得なくなっていた。