"狂人にされた私と、義母の同じ受診票" 第17話
郊の静かな宅にある、昔ながらの純喫茶。 カランコロンとドアのベルを鳴らし、私は奥の席へと歩をめた。
窓際のテーブルに、義母が座っていた。 濃紺のウールセーターを着て、湯気のつほうじ茶の湯呑みを両で包み込んでいる。 以のような、トゲトゲとした寄りがたさは消え、どこかさく、穏やかな老婦の佇まいだった。
「お待たせしました、お義母さん」
私が声をかけると、義母は顔をげ、さく微笑んだ。
「いいや、今来たとこだよ。座りなさい」
席につき、私も温かいお茶を頼んだ。 テーブルのに置かれたのは、裁判所から送られてきたばかりの、婚調の成調だった。
夫との婚は、正式に成した。
自宅の戸建ては任売却され、宅ローンの残債を清算した残額から、私の百万円と解決が優先に支払われた。 夫は会社でコンプライアンス違反の調査を受け、関連会社への向という名の事実の遷処分となった。 今は郊の古びたワンルームマンションで、彦と弁護士の監のもと、義母への返済計画に従って細々と暮らしているという。
「……真由さん」
義母が静かにをいた。
「いろいろ、苦労をかけたね」
「いいえ。お義母さんが、あの朝、類を持ってきてくださらなかったら……私は今頃、病院へ連れていかれて、すべてを奪われていたといます」
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義母は線を落とし、ほうじ茶の表面を見つめた。
「ずっとね、考えてたんだよ」
掠れた、独り言のような声だった。
「、あの子に『母さんはボケた』って言われた……どうして私は、もっとく疑わなかったんだろうって。どうして、自分ののほうを疑ってしまったんだろうってね」
義母のが、湯呑みのでさく震えた。
「自分の記憶を疑うっていうのはね、真由さん。世界が敵になるより、恐ろしいことだよ。元が全部、になって崩れていくような覚なんだ。……あの子は、その恐怖をよくってたのさ。だから、私にも、あんたにも、同じを使った」
「……ええ」
「あんたのことを『気の利かない嫁だ』って、あの子から何度も聞かされてた。だから私も、あんたを毛嫌いして、辛く当たった。……全部、あの子が私たちを分断するために吹き込んでいた嘘だったのにね。本当に、すまないことをした」
義母がく、をげた。
座のような劇な謝罪ではない。 老いた背を丸め、ただ静かに、過の過ちを認める仕だった。
私の胸の奥に、分の棘がチクリと痛んだ。 すべてを許せるわけではない。 義母に浴びせられたたい言葉の数々が、完全に消えてなくなるわけでもない。
けれど、もう憎しみは残っていなかった。
「お義母さん。をげてください」
私は言った。
「疑うべきは、自分たちの正気じゃなかった。
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それだけの話です」
義母はゆっくりと顔をげ、涙の滲んだ目で私を見つめた。 そして、ぎこちなく、けれど確かに頷いた。
「そうだね。……本当に、そうだ」
のに流れる沈黙は、かつてのように苦しいものではなかった。 互いに同じ獄をき延びた同士の、静かで透な凪のようなだった。
*
喫茶をて、しく借りた自分のアパートへ戻った。
夕暮れのが、カーテンのないフローリングのリビングを斜めに照らしている。 まだ具のない部はがらんとしていたが、空気はどこまでも澄んでいた。
机のに、つの茶封筒を置いた。
から取りしたのは、あの、プリンターのトレイに残されていた枚の。
『受診に伝える活状況について』
夫の端正な文字で、私の「異常」が克に綴られていたあの類。
私は油性ペンをに取ると、そのタイトルの真に、きく線を引いた。
そして、余の部分に、迷いのない太い跡でしいタイトルをき殴った。
『確認が必な事実』
そのに、の取引推移証、登記事項証、調調の写しをねる。
をトントンと机で揃え、黒いクリップで留めて、しいのファイルへと収めた。
パチン、と具が閉じるよい音が響く。
もう度と。 「おは疲れている」という誰かの優しい言葉に、自分の現実をけ渡すことはない。
窓をけると、たい夜が通り抜けていった。
の灯りが、くで静かに瞬いている。
私の、私だけの活が、今ここから始まろうとしていた。