"妻の失踪から90日、誰かが場所代を払っている" 第14話
度も振り返ることなく、彼女はをてった。
残された私は、え切ったボックス席で、ただただ震えていた。 取り返しのつかないことをした。 私が「優しい兄」を演じ、「族いの息子」でいようとした代償として、妻のを獄へ突き落としたのだ。
*
夕方、い取りでマンションに戻った。
エントランスの自ドアをくぐり、エレベーターホールへ向かおうとした瞬だった。
「俊介……!」
物から、取り乱した叫び声とともにびしてきたがあった。
母・澄だった。 髪交じりの髪を振り乱し、顔を涙とでぐしゃぐしゃにしている。 そしてその背には――
作業着姿の直がっていた。 ポケットに両を突っ込み、暗い、底の悪いを宿した瞳で私を見ろしている。
「母さん……どうしてここに」
母は私の腕にしがみつき、爪がい込むほどの力でコートを引っ張った。
「俊介! 直を助けてやって! お願いだから!」
エントランスのロビーに、母の甲い声が反響する。 オートロックのガラスの向こう、通りかかった同じマンションのが、審そうにこちらをチラチラと見ている。 かつての私なら、羞恥と世体でパニックになっていたはずだった。 だが、今の私のは、え切った鉛のようにく沈んでいた。
「直のに、信のたちが来たのよ! 融資の返済が滞ってるからって、の材を全部差し押さえる続きに入るって……! このままじゃあの子、破産しちゃうわ!」
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母は私の胸に顔を押し当て、泣き叫んだ。
「あんたが連帯保証になってるんでしょ?! あんたの料と、このマンションを担保にして、おを借り直してちょうだい! あんたは企業の社員なんだから、いくらでも融資は引けるはずよ!」
「……母さん、何を言ってるのか分かってるのか?」
私の声は、驚くほどく、平坦だった。
「直は俺を騙して、勝に実印を押させたんだぞ。百万だ。俺が背負う筋いのないだ」
その瞬、母は弾かれたように顔をげ、私の頬を平打ちした。
乾いた音が、エントランスに響き渡る。
「あんた、実の弟に向かって何てこと言うの! 騙しただなんて、族のでそんな言葉使うもんじゃないわ! お兄ちゃんなら、弟が困ってるに助けるのが当たりでしょう!」
母の目が血っていた。 幼い頃から、ずっと私を縛り付けてきた言葉。 『おはお兄ちゃんなんだから』 『族なんだからしなさい』
「里奈さんがいなくなって、あんたがおかしくなったんじゃないの?! あの女よ、あの女があんたを唆したのよ! 昔から直のこと嫌って、おのことに細かくて……の女のせいで、たったの弟を見捨てる気なの?!」
「の女……?」
私の喉から、いうなり声が漏れた。
、私の隣で質素に暮らし、私の健康を気遣い、私の無神経さに耐え続けてくれた妻を。
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このたちは、「の女」と切り捨てたのだ。
母の背で、直が元を歪めてニヤリと笑った。
「そうだよ、兄貴。母さんの言う通りじゃん。あんな逃げた女のことなんか忘れてさ、族で力わせようよ。兄貴が保証として全額引き受けてくれれば、俺のは潰れないで済むんだからさ」
直が歩、に踏みして私の元に顔をづけた。
「……それとも何? 兄貴、母親を臓麻痺で殺す気? 俺が全部バラしたら、母さんショックでんじゃうかもよ? 『兄貴がサインした保証』、俺の元にもコピーがあるんだからさ」
悪魔の囁きだった。 母のを利用し、兄の罪悪を質に取り、血を啜り尽くそうとする寄虫の目。
私は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
胸のポケットにある、浦恵美から見せられた妻の記。 千葉の127番区画にポツンと残されていた、妻のマフラー。 あの寒空ので、妻がわった孤独と恐怖。
それに比べれば、母のヒステリーも、弟の脅迫も、所の線も、何の価値もなかった。
私は直の目を、まっすぐに見据え返した。
「……直」
「ん? なに、兄貴。わかってくれた?」
「、警察にく」
直の笑顔が、凍りついた。
母の鳴が止まり、エントランスにのような静寂が訪れた。
「おを、印私文偽造と詐欺で刑事告訴する」
私は母の腕を、静かに、しかし度と振り払えない力で引き剥がした。