みかん小説
本棚

"存在しない306号室" 第4話

あんなに真面目で、学級委員を頼まれたら嫌な顔ひとつせず引き受けて、妹の私にいつも気を遣っていた姉が、財布も携帯も置いてのへ消えるはずがないのだ。

午過ぎ。 の曲がりくねった旧を登りきった先に、その建物は現れた。

『馬楼』。

赤茶けた鉄骨と、朽ちかけたモルタルの壁。 昭代に増築を繰り返したせいで、本館と別館が気に継ぎ接ぎされた巨な廃墟だった。 敷の入りには、黄と黒のトラロープが張られ、板がてかけられている。 『入禁止 解体事施』。

作業員のプレハブはあったが、今は激しいのせいかはない。 型のショベルカーが台、油圧アームを折りたたんだまま、ので錆びた巨体を休めていた。

私たちはフードをく被り、ロープをくぐり抜けた。 雑がい茂る搬入の脇、勝のガラスが割られ、ベニヤ板が打ち付けられている隙を見つける。 板をしだけ押し広げると、がすり抜けられるだけの空がいた。

は、昼だというのに完全なだった。 を踏み入れた瞬、腔を突く烈なカビと腐敗した畳の匂い。 元で、湿った断材がグシャリと音をてる。

「……宮本さん、本当にここに入るの?」 背で、懐灯を握る藤原先の声が震えている。

広告

「階にきます。あのが嘘じゃないなら、確かめる所はひとつしかありません」

スマホのライトを頼りに、軋む非常階段を登った。 段がるごとに、錆びた鉄が鳴のような属音をてる。 階の廊を通り過ぎる。 、姉たちが田辺教諭と言い争っていた所。 井の壁が垂れがり、漏りの滴がリノリウムのを規則正しく叩いていた。

そして、階。

い本の廊が、暗の奥へと伸びていた。 埃の積もった客ドアが、等隔に並んでいる。

301。 302。 303。 305。

304は、縁起を担いで最初から欠番だった。 305の部を過ぎると、廊はしだけクランク状に折れ曲がっている。 その角を曲がった先に、懐灯のを向けた。

の輪のに浮かびがったのは、次の客の扉――307だった。

「ほら……やっぱり、ないじゃない」 藤原先が、堵と絶望が入り混じったような溜息を漏らした。 「305の次は、307よ。306号なんて、最初から――」

「待ってください」

私はち止まり、壁を照らした。 305と307の。 わずかメートルほどの隙。 そこには、の客のような目調の引き戸ではなく、に塗られたさな鉄の扉があった。

取っのには、くすんだ真鍮のプレートがねじ止めされている。

『清掃具置』

モップやバケツ、替えのシーツを詰め込んでおくための、ただの業務用物置。 ホテルや旅館には、どこにでもあるバックヤードの扉だ。

広告

「これよ。ここは客じゃないの」 藤原先が言う。 「昔からここは掃除用具入れで、鍵がかかっていて……徒が入れる所じゃなかった」

私は扉にづいた。 建築の図面を見慣れた目が、違を捉える。

真鍮のプレート。 の湿気で緑青を吹いているが、側のビスが本脱落し、側のビスだけで辛うじて止まっていた。 プレート自体が、自然にし傾いている。

指先を伸ばし、そのたい真鍮の板に触れた。 グラリと揺れる。 引っ張ると、錆びたビスが枠から簡単に浮きがった。

プレートが、カランと音をてて裏返る。

その。 、真鍮の板に隠されていた、暗い扉の鉄板の。

の塗装のに、黒い油性マジックで、太く、力い跡でかれた文字があった。

【306】

息が止まった。

悪戯きではない。 現の設備業者が、図面の区画番号を仮きするときに使うような、無質で、はっきりとした数字。 その横には、さらにさな字で、掠れたメモがりきされていた。

『旧館連絡・仮施錠(鍵:職員保管)』

「……306」 藤原先の懐灯が、激しく揺れた。 「ここが……306号……?」

「物置の名じゃない」 私は扉のノブにをかけた。 ガチャリ、とい属音が響く。鍵はかかっていなかった。 の歳で腐したラッチが、錆のを撒き散らしながられる。

「ここは客じゃありません。

……別の所へ抜けるための、通です」

扉を押しけた瞬、から吹きしてきたのは、ただのカビの匂いではなかった。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: