"一日五百円で飼われた妻" 第22話
婚届が受理された、私は区役所の窓で、しい戸籍謄本を受け取った。
者:林由美。
ぶりに戻ってきた、私の名だった。 の端を指でなぞりながら、私はく息を吸い込んだ。 佐藤由美という、あの男の付属物としての私は、もうこの世界のどこにもいなかった。
*
そのの。 私のアパートのさな畳に、よいが吹き抜けていた。
物流センターでの派遣の仕事は半が過ぎ、私はすっかり業務に慣れていた。 エクセルの関数も、貿易システムの複雑なオペレーションも、今では若い社員に教えられるほどになっていた。先には所から「来期から契約社員として、直接雇用に切り替えないか」という打診も受けていた。
取りの与は万円ちょっと。 千百万円の分与財産は、将来のための定期預に預け、私は毎の自分の稼ぎだけで賃と費をやりくりしていた。 贅沢はできない。けれど、その円円の使途を決めるのは、私自だった。
コンコン、と控えめなノックの音がした。
ドアをけると、しびた私を着た音が、両にスーパーのレジ袋を提げてっていた。 学の休みを利用して、私の部に泊まりに来てくれたのだ。
「お母さん、ただいま!」
「いらっしゃい、音。かったでしょう」
音は暮らし用のさなキッチンに袋を広げ、嬉しそうに材を取りした。
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鶏肉、菜、きのこ、豆腐。今夜はで炊きをする予定だった。
「お父さんね、先、世田のマンションをてったよ」 音が野菜を洗いながら、何気ない調で言った。
「そうなの」
「うん。郊のさな賃貸に引っ越したみたい。政婦さんを雇うおも続かないみたいで、自分で洗濯したりご飯作ったりしてるらしいけど……こないだラインで『部が片付かない、ご飯がい』って愚痴ってきたから、ブロックしちゃった」
音はそう言って、悪戯っぽく笑った。
「おばあちゃんとも、おのことで喧嘩したんだって。マンションを売ったおがったより元に残らなかったから、おばあちゃんへの仕送りを減らしたらしくて。『あんたなんかに育てなきゃよかった』って言われて、お父さん、泣いてたらしいよ」
私はまな板ので豆腐を切りながら、さく息を吐いた。
りも、憐れみも湧いてこなかった。 彦が作っていたのは、や信頼で結ばれた族ではなく、「すべてが自分のい通りにく箱庭」だったのだ。 妻を無力化し、娘を懐け、母親にはを渡して良い顔をする。 その箱庭を維持するためのシステムが壊れた、彼の元には何も残らなかった。 自分で自分の事を作り、自分で自分の洗濯物を畳む。彼が今まで私に見しながら押し付けていた「当たりの活のみ」
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に、今頃になって押し潰されているのだろう。
それは、彼が自ら蒔いた種だった。私が背負ってやるべき理由は、何つない。
「音、お鍋できたわよ」
「わあ、美しそう!」
さなローテーブルを挟んで、で鍋を囲んだ。 ポン酢の酸と、温かい汁のりが部いっぱいに広がる。
「美しいね、お母さん」
「ええ、美しいわね」
のない会話。 テレビのバラエティ番組の笑い声。 レシートの提を急かされることも、使った額に怯えることもない。 誰の顔も窺わずにべる事は、どんな級料亭の料理よりも、臓腑に染み渡るように温かかった。
、音がカバンのから、さな保バッグを取りした。
「はい、お母さん。これ、バイト代で買ってきたの」
からてきたのは、菓子の箱だった。 けると、ガラスの器に入った、つの焼きプリンが並んでいた。 表面のカラメルが、琥珀に美しく輝いている。
「駅の美しいケーキさんのやつ。お母さん、プリン好きでしょう?」
音の笑顔を見た瞬、私の胸の奥で、カチリと何かがれる音がした。
あの、コンビニの棚のでち尽くし、百円のプリンを買うことすら怯えていた自分。 皿のの貨に怯え、息を殺して顔を伺っていたの自分。
そのすべてのが、このの甘さのに溶けて消えていくようだった。
「ありがとう、音」
私はスプーンを取り、プリンをに運んだ。 ほろ苦くて、優しくて、どこまでも温かいがした。
あのに、鍵はかかっていなかった。 鎖も、鉄格子もなかった。 けれど私は違いなく、、さな皿のに閉じ込められていたのだ。
そこから抜けすのに、も、特別な才能もらなかった。 ただ、「自分はのである」という当たりの尊厳をいし、自分ので歩を踏みす勇気だけが必だった。
窓のでは、京の夜空に澄んだのが浮かんでいた。 も、も、私には私の仕事があり、私の活がある。
自分のを、自分ので選び取ってきていく。 その当たりで、かけがえのない自由を抱きしめながら、私は娘と顔を見わせ、からの笑顔を浮かべた。