"父親欄の黒い斜線" 第16話
【16】「復縁するためじゃない。この子の父親だから」
部のに、い沈黙が流れた。
窓のからは、夕暮れのをるの音がく聞こえていた。
私はノートを胸に抱きしめたまま、拓也を見つめた。
彼が支払った代償のさが、痛いほど理解できた。
本の流企業の営業部で、男が庭を理由に昇のレールからりることが、どれほどの恐怖を伴う決断であるか。
「……拓也」
私の声が、微かに震えた。
「私、あの部を解約して……戻ってきた方がいい?」
その言葉は、私の本からの迷いだった。
彼がここまで変わったのなら。
自分のキャリアを削ってまで、陽菜の活を守り抜いてくれたのなら。
私は過の痛みをに流し、もう度『妻』に戻るべきなのではないか。
それが、子どものためにも正しい選択なのではないか——。
だが、拓也は静かに首を横に振った。
「いいや。戻ってこなくていい」
「……え?」
予もしなかった返答に、私は息を呑んだ。
拓也はまっすぐに私の瞳を見て、穏やかな、けれど揺るぎない声で言った。
「美咲、おは優しいから、俺がこれだけやったのを見て、罪悪を持ってるんだろ。『許してあげなきゃいけないんじゃないか』って」
拓也は自嘲気に笑った。
「俺はね、おに許してもらうために、このをやったんじゃないんだ」
拓也は歩、私にづいた。
その距は、かつてのように威圧ではなく、互いの境界線を尊する適切ないだった。
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「俺はずっと勘違いしてた。『父親』っていうのは、結婚して子どもがまれたら、自にもらえるトロフィーみたいなもんだとってた。だから、おに事も育児も全部丸投げして、都のいいだけ抱っこして、親戚ので偉そうにしてたんだ」
拓也の喉が詰まり、言葉がを帯びる。
「でも、違った。父親っていうのは、自分のの部を削って、この子のために差しし続ける覚悟の名だったんだ。……美咲、俺が今やってることは、特別なことじゃない。ただ、今までおに押し付けていた当然の責任を、自分ので引き受け直してるだけなんだよ」
拓也は陽菜のさなを、おしそうにそっと撫でた。
「だから、俺への同や免罪符として、あの部を引き払う必はない。おがお自のをきるために、あの所が必なら、ずっとそこにいていい」
そして、拓也ははっきりと告げた。
「俺たちがこれから、夫婦としてやり直すかどうかは、もっと先の話だ。何かかってもいい。……ただ、これだけは覚えておいてほしい」
「俺たちが夫婦であり続けるかどうかに関係なく、この子には、絶対に逃げない父親がいる。それだけは、かけて俺が証し続けるから」
その瞬、私の界が完全に滲んだ。
料亭でたい言葉を突きつけたも、
で陣痛に耐えてタクシーに乗ったも、
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サカイのトラックを見送った朝も、
私は決して泣かなかった。
泣いてしまえば、自分が保ってきた固な防壁が崩れてしまうとっていたからだ。
けれど今、私の頬を伝ったのは、凍りついた孤独が溶けていく温かい涙だった。
私はもう、で世界のすべてと戦う必はないのだ。
このさな命を、私の双肩に背負い込んで、怯え続ける必はないのだ。
「……うん」
私は涙を拭い、しっかりと頷いた。
「分かったわ」
はそれ以、抱きったり、を誓いったりはしなかった。
ただ、の命を共に守るのとして、静かに笑いった。
◇
それから、半が過ぎた。
初のが吹き抜ける曜の午。
駅の改札で、私はベビーカーを押していた。
陽菜はヶになり、つかまりちを覚えて元気いっぱいに声をげている。
向こうから、リュックを背負った拓也が歩いてくるのが見えた。
別居活は、今も続いている。
平の送り迎えは完全に分担し、週末は交互に陽菜と過ごす。
その活リズムは、今や計の歯のように正確に、そして穏やかに能していた。
「お待たせ。美咲、体調はどう?」
「丈夫よ。はい、これ今週の陽菜の荷物。乳のストックと、焼け止めね」
「サンキュー。今の夜はうどんを作ってみるよ」
拓也は慣れたつきで陽菜を抱きげ、ベビーカーを畳んだ。
その腕には、もう何の危うさもなかった。
義母の久子は、最初のうちは「あんな嫁とはく婚しろ」と騒ぎてていたらしい。
だが、拓也が「これ以美咲や陽菜の活にをすなら、絶縁する」と言い放って以来、余計な干渉はピタリと止まったという。
「じゃあ、の夕方、またここで」
私が背を向けようとした、スマートフォンがく震えた。
画面を見ると、保育園の保護者連絡アプリからの通だった。
『来の個別保護者面談の程調について』
私が画面をこうとした瞬、拓也がスマートフォンを見ながら言った。
「あ、美咲。園の面談の連絡、来ただろ」
「ええ、今見ようと——」
「俺、曜ので予約入れたから。そのなら仕事の調がつく。美咲の都が悪ければ、俺でってくるよ」
私はスマートフォンの画面を見つめた。
そこにはすでに、保護者氏名の欄に『佐藤拓也』の名で確定通が表示されていた。
かつて、すべての類から父親の名を削り落としたあの料亭の席のが、い過のようにいされた。
「……ううん。私もくわ。なら、仕事をし退できるから」
「そっか。じゃあ、現集で」
「ええ」
拓也は陽菜のを取り、「ママにバイバイは?」と促した。
陽菜がさなを器用にパタパタと振る。
私は笑ってを振り返し、駅の階段へと歩きした。
度も振り返らなかった。
になってろを確認する必なんて、もうどこにもなかったからだ。
父親が必とされるその所に、彼はもう、自分自のでっているのだから。