"出来が良すぎるという理由" 第13話
区の文具
午分。
黒澤の運転する古いボルボは、夜の首都速を抜け、国号線をへ向かっていた。
内は、苦しい沈黙に支配されていた。
カーラジオからは音のジャズが微かに流れていたが、どちらもそれを聴いてはいなかった。
助席の窓のを流れる、褪せたネオンと夜トラックのテールランプを、私はただ眺めていた。
千駅からで分ほどった、宅とさな町が混する。
黒澤はをコインパーキングに滑り込ませ、エンジンを切った。
暗のに、造階建ての古い舗兼宅が建っていた。
シャッターには錆が浮き、褪せた板には『文具』の文字が灯のに微かに浮かびがっている。
階の窓からは、暗いかりが漏れていた。
「こんなに押しかけて、どうするつもりですか」
私が尋ねると、黒澤はハンドルを握ったまま、を見据えて言った。
「は朝からけているらしい。ここで待つ」
黒澤はシートをし倒し、目を閉じた。
それ以、言も発しなかった。
張り詰めた沈黙ので、が過ぎた。
空が濃いからいへと移り変わり、朝の気がフロントガラスをく曇らせていく。
午分。
ガラガラという、シャッターを押しげる乾いた属音が静寂を破った。
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コートを着た女性が、のに製の板をし、箒で掃き掃除を始めていた。
齢は代半ば。化粧気のない顔ちに、髪をろで無造作に束ねている。
目元に刻まれた細かい皺が、歳のさを物語っていたが、あのノートに貼られていた写真の面は確かに残っていた。
葵だった。
黒澤がドアをけ、にた。
私もそれに続いた。朝のたい空気が、徹夜で照った頬を突き刺す。
が歩み寄る音に気づき、女性が箒のを止めて顔をげた。
「いらっしゃいま……」
挨拶の途で、彼女の線が黒澤の顔に止まった。
数秒の静寂。
彼女の眉がわずかにがり、それから信じられないものを見るように目を細めた。
「……黒澤、さん?」
「」
黒澤の声は掠れていた。
彼はの歩でを止め、く、直角にをげた。
「突然押しかけてすまない。ぶりだ」
は驚いたように元にを当てたが、すぐに困惑したような苦笑いを浮かべた。
「本当に黒澤さんだ……どうされたんですか、そんなビシッとしたスーツを着て、こんな朝くに。そちらの方は?」
「輩の、神です」
私が名乗ると、はさく会釈を返した。
「ち話もなんですから、へどうぞ。ちょうどお湯を沸かしたところです」
案内された内は、インクと消しゴムの独特の匂いが漂っていた。
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狭い通の両脇には、ノートや記用具、学用品が然と並んでいる。奥のさな帳にパイプ子が脚され、湯呑みに注がれたい緑茶がされた。
黒澤は茶にをつけず、膝のに置いたブリーフケースから、あのノートのコピーと、私の企画、そして自分のの企画を取りし、帳のに並べた。
「。覚えているか、この図を」
黒澤は、黄い付箋のコピーを指差した。
は老鏡をかけ、に目を落とした。
数秒、じっとその図を見つめていたが、やがて線をげ、議そうに首を傾げた。
「これ……私が昔、ノートに描いたやつですね。懐かしい。まだ残っていたんですか」
その調は、驚くほど平坦だった。
憎しみも、りも、懐旧のすら希な、まるで実の押し入れから古い学代のプリントがてきたのような軽さだった。
「」
黒澤が、絞りすような声で言った。
「俺は当、この企画をおの名をさずに自分の単独提案として役員会に通した。そして、赤字をして失敗した。おのアイデアを棒したに、台無しにしたんだ。そのことを……ずっと謝りたかった」
黒澤は帳に両をつき、額が机につくほどくをげた。
「そして今、この神が、おのあの発を現代の技術で完璧に事業化しようとしている。
だが俺は……自分の見栄と保のために、こいつの企画を止めようとした。俺はから、何つ成していない」
沈黙が流れた。
換気扇の回るカタカタという音だけが響く。
私はの顔を見つめた。
りの糾弾が始まるのか。それとも、失われた青への涙が零れるのか。
だが、葵のから漏れたのは、さく吹きすような笑い声だった。
「ふふっ……すみません」
は元にを当て、困ったように眉をげた。
「黒澤さん、顔をげてください。そんなところで座なんてされたら、所のに変な目で見られちゃいます」
黒澤が、呆然とした表で顔をげた。
「……っていないのか?」
は湯呑みをにとり、ふーふーと息を吹きかけながらすすった。
そして、酷く穏やかな、しかし決定にめた目で黒澤を見た。
「の、たかがインターンが会議の雑談でったいつきですよ? そんなもの、私、会社を辞めた翌には綺麗さっぱり忘れてました」
黒澤の体が、微かに張った。
「忘れて……いた?」
「当たりじゃないですか」
は笑った。
「私、あの広告とは全然関係ない専商社に入って、結婚して、子供産んで、親が倒れたからここを継いだんです。毎の仕入れと、子供の学費と、商の寄りいでがいっぱいで……の切れのことなんて、いす暇もありませんでしたよ」
は、私の企画に線を移した。
パラパラと数ページめくり、したように頷く。
「神さん、でしたっけ。すごいですね、これ。スマホでこんなことができる代になったんですね。私のあの落きが、こんな派なものになるなんて、ちょっと面いですけど」
は企画を閉じ、黒澤のに押し戻した。
「黒澤さん。あなたが、何を背負って苦しんできたのかはりません。でもね、私にとっては、とっくにどうでもいい昔の話なんです。そんなカビのえた霊みたいなもののために、わざわざ夜にをばして、若いのを引っ張るようなこと……恥ずかしくないんですか?」
帳のの空気が、完全に凍りついた。
の言葉には、棘がなかった。
悪も復讐もない。ただ圧倒な「無関」と「活者の現実」があった。
そしてその無関こそが、黒澤が守り続けてきた『劇の神話』を、跡形もなく々に砕していた。
黒澤は、血の気の引いた顔で、机ののを見つめたまま微だにしなかった。
朝の分。
の引き戸がガラガラとき、所の学が「おばちゃん、ノートちょうだい」と銭を握りしめて入ってきた。
「はいはい、おはよう」
はるい声でちがり、黒澤と私に背を向けた。
私たちは、誰からも引き止められることなく、そのをにするしかなかった。
コンプライアンス委員会が始まる午まで、あと分だった。