"学年五位の二浪息子" 第12話
退塾届のサイン
そのの午、私はで学教を訪れた。
期講習のの帯だったため、教内には徒の姿はなかった。奥の指導席で赤ペンをらせていた先が、私に気づいて顔をげた。
「おや、佐伯さん。直くんはどうしました? 今の特訓講義はからですが」
私は何も言わず、受付のカウンター越しに、枚の用を差しした。
塾の入塾案内の番ろに挟まれていた規定の類――『退塾届』だった。
直の氏名と、保護者氏名の欄に、私の署名と捺印がくっきりと押されていた。
先のペンのきが止まった。鏡の奥の細い目が、すっと細められる。
「……これは、何の冗談ですか」
「冗談ではありません。本付で、直を退塾させます。これまで変お世話になりました」
私は々とをげた。
先は類をに取ることすらせず、背もたれにゆっくりと体を預けた。その顔から、いつもの穏やかな笑みが完全に消え失せていた。
「佐伯さん。願の最終締め切りまで、あとヶを切っているんですよ。今このタイミングで環境を変えることが、どれほど致命なことか、あなたには分からないのですか?」
「分かっています」
「分かっていない」
先は淡な声で言い放った。机を差し指の腹でトントンと叩く。
「直くんは今、精神な最の試練を迎えているんです。
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ここで退けば、彼は、逃げした自分を呪ってきることになる。母親のなヒステリーで、子供の無限の能性を握り潰すおつもりですか? 彼のような本物の才能を育てることのみが、あなたのような凡に理解できるはずがない」
傲な言葉だった。だが、議とりは湧いてこなかった。
かつての私なら、この「教育者としての正論」に気圧され、自分の無を恥じて引きがっていただろう。だが今の私には、先の言葉の裏にあるものが透けて見えていた。
このは、直の未来を配しているのではない。
自分が発掘し、塩にかけて磨きげた「最傑作」が、自分のコントロールをれて凡庸な枠に収まることが、許せないだけなのだ。
「先」
私は線を逸らさず、静かにをいた。
「先が直の才能を見してくださったことには、今でもから謝しています。あの子が自分に自信を持てたのは、違いなく先のおかげです」
「ならば……」
「でも、あの子の才能がどこまで伸びるかよりも、あの子が今、息をして笑っていられることのほうが、私にとっては遥かに切なんです」
先の眉が、そうにねがった。
「才能を使い切ることが、の唯の幸福ではありません。あの子のは、先の教育理論の正しさを証するための実験台ではないんです」
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「……随分な言いですね」
先の声が、く濁った。
「、泣きついてきたのはあなたの方だ。私にすべてを委ねると言ったのは、あなただ」
「はい。その通りです」
私は迷わずに認めた。
「私がく、愚かだったから、先に決定権を押し付けました。息子の苦しみに蓋をして、先のろに隠れていました。その責任はすべて私にあります。だからこそ――」
私は退塾届を、先の胸元に向けて押しした。
「今、私がその権利を奪い返しに来ました。直のは、直自と、母親である私が決めます。先のおを煩わせることは、もう度とありません」
先は、吐き気を催したかのように退塾届を睨みつけた。
そして、乱暴に引きしをけると、無言で類をそのへ放り込み、音をてて閉めた。
「……悔しますよ」
先は私を見ようともせず、たく言い放った。
「あの子は、にかなければ、ただの抜け殻になる。そのになって泣きついてきても、私はもう度と助けませんから」
「結構です」
私は礼し、踵を返した。
アルミのいドアをけてにると、のたいが頬を撫でた。
胸の奥を塞いでいたたい鉄の板が、ようやく枚、剥がれ落ちたような気がした。