"夫が届出た私の失踪" 第13話
畳の麦茶
曜の午分。
は、梅えの細いがっていた。
古びたアパートの302号は、窓を閉め切っていても、すぐそばをる私鉄の踏切の警報と、濡れた線を擦るのい音をそのまま通した。
裸球の傘が、の揺れにわせてさくカタカタと鳴る。
私は畳のに置いた千円の折りたたみテーブルのに正座し、筒の麦茶をつのガラスコップに注ぎ分けていた。
コップの表面に、じわりとたい滴が浮きがる。
音がしたのは、ちょうど杯目を注ぎ終えただった。
ギシ、ギシ、との鉄階段を段ずつ踏みしめるい音がづいてきた。
錆びた踊りで音が止まり、数秒の躊躇いのあと、いアルミのドアノブがガチャリと鳴った。
ノックはなかった。
ゆっくりとドアが内側に引かれ、湿った夜の空気とともに、ひとりの男がタタキにった。
「……健」
週ぶりに見る夫は、驚くほど痩せて見えた。
着古したチャコールグレーのスラックスに、アイロンの当たっていないシャツ。には、滴を弾くビニール傘を本提げていた。
頬の肉が落ち、顎の周りには剃り残した無精髭がく混じっていた。
健は靴を脱ぐこともせず、タタキにち尽くしたまま、目を細めて部の奥を見回した。
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畳の。
擦り切れた黄い畳。
折りたたみテーブルのに置かれたつの麦茶のコップ。
部の隅に転がっているさな座布団が枚と、型の蔵庫。
それ以には、本棚も、テレビも、鏡も、着替えを掛けたハンガーのつすらしない。
健の線が、部の隅々をゆっくりとなぞっていった。
男物のを探すように。あるいは、もっと豪奢な、庭を捨ててまでに入れたかった贅沢の痕跡を探すように。
だが、そこにあるのは、息が詰まるほど殺景な、ただの空っぽの空だった。
「……これだけなのか」
健の喉から、掠れた声が漏れた。
りでも、堵でもなかった。ただ、呆然とした、拍子抜けしたような響きだった。
「ええ。これだけよ」
私は正座したまま、向かい側の畳をで軽く叩いた。「がって。靴を脱いで」
健は濡れた傘を玄関のフックに掛け、革靴を脱いだ。
靴に穴はいていなかったが、踵の部分がし湿っていた。
畳を踏む取りはおぼつかなく、彼は私の向かい、座布団のない板畳のに、ぎこちなくあぐらをかいた。
、同じ卓で向かいってきた男が、私の借りた万千円の部に座っている。
その景はあまりに現実がなく、まるで悪いの続きを見ているようだった。
「麦茶、む?」
私がコップを差しすと、健は線を落としたまま、無言でそれを受け取った。
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ガラスのたさを確かめるように両で包み込み、喉を鳴らして気に半分ほどみ干した。
「がっかりした?」
私は自分でも驚くほど、静かな声で言った。
「もっと別のものを像してたでしょう。別の男とか、派な買い物とか……あなたがらない、私の華やかな秘密とか」
健はコップを持ったまま、唇を固く結んだ。
伏せられた睫毛の奥で、瞳が微かに揺れていた。
「……いや」
健はく呟いた。「最初から、男じゃないことは分かってた」
「どうして?」
「ドラッグストアのパート代だけで借りられる部を調べたんだ。ここ、賃万千円だろ。男と密会するために借りるような所じゃない」
健はコップをテーブルに置いた。コツン、と乾いた音が響く。
「おが毎週曜、夕方の頃にこのアパートの階段をがっていくのを……ヶ、から見げたんだ」
健の目が、まっすぐに私を射抜いた。
「にはコンビニのビニール袋がつ。に入ってたのは、おにぎり個とお茶のペットボトルだけだった。それを持って、おは誰も待っていないこの部の鍵をけて入っていった」
息が止まりそうになった。
見られていた。
私が、誰にも見られていないと信じ込んでいた、あの無防備な背を。
「その、俺はったよ」
健の声が、微かに震え始めた。
「浮気されてるほうが、まだマシだったってな」