"夫が届出た私の失踪" 第11話
すき焼きの分
夜のを回っても、がにはかりが半分しか灯っていなかった。
奈津は自分の昔の部に閉じこもり、鍵こそかけていないものの、からは物音ひとつ聞こえてこない。
私は、暗い台所にち、やかんの湯が沸くのをぼんやりと待っていた。
青いガスの炎が、規則正しく揺れている。
リビングのカウンターに置いてあった奈津のスマートフォンが、く震えた。
LINEの通音だった。
画面が点灯し、ポップアップが表示される。
反射に線を向けた私の目は、その送信者の名に釘付けになった。
『お父さん』
臓がねがった。
私はやかんのを止め、吸い寄せられるようにカウンターへ歩み寄った。
奈津のスマホのロック画面に、のメッセージが浮かんでいた。
『奈津、京に戻っているのか。配かけてすまない』
『父さんは丈夫だから、お母さんには探さなくていいと伝えてくれ』
の先から、血の気が気に引いていくのが分かった。
健は、娘に連絡を入れていた。
私には通のメールも、着信への折り返しも寄越さないくせに。
あの黄い付箋で私を刺しておきながら、娘を盾にして、自分は全な所から「探すな」と告げてくる。
りが、恐怖を塗りつぶしていった。
結婚して、健に対してこれほど激しいりを覚えたことは度もなかった。
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「お母さん?」
背でドアがき、目を赤く腫らした奈津がてきた。
私の元を見て、奈津が息を呑む。
「お父さんから……?」
「奈津、パスコード教えて」
私の声は、自分でも驚くほどたく、かった。
「え……?」
「ロックを解除して。お願い」
奈津は私の気迫に気圧されたように、躊躇いながら指を伸ばし、画面に数字を打ち込んだ。
トーク画面がく。
健のアイコンは、何もに族で登った尾の頂から見える景のままだった。
私は奈津のスマホを奪うように握りしめ、キーボードを叩いた。
『子供を伝鳩にするのはやめて』
送信ボタンを押す。
画面の向こうで、すぐに「既読」がついた。健は画面を見ている。
続けて、私は指を滑らせた。
『話があるなら、直接私に言って。逃げないで』
『曜の夜、私のアパートに来て。待ってるから』
送信。
既読がついた。
だが、そこから画面は沈黙した。
分、分、分。
「入力……」の表示がることもなく、ただ緑の吹きしがつ、虚しく並んでいる。
「お母さん……」
奈津がおずおずと私の腕に触れた。
「お父さん、なんて?」
「返事はないわ」
私はスマホをテーブルのに置いた。画面が暗転し、リビングに再び苦しい静寂が戻る。
ダイニングテーブルの目をじっと見つめているうちに、私の脳裏に、あの曜の景が鮮にちがってきた。
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あの。
健が買ってきた肉で、すき焼きをした夜。
私は確かに、あのテーブルに座っていた。
健の向かいに座り、割りを注ぎ、ネギを裏返していた。
だが、その、私の識はどこにあったのか。
私はエプロンのポケットので、スマホを握りしめていた。
の曜に、あのアパートの管理会社からメールが届いていたのだ。
『賃貸借契約の更続きについてのご案内』
ヶの期契約が切れ、本契約に移するかどうかの確認通だった。
更料を払って、あの畳を維持するべきか。
それとも、潮だとって引き払うべきか。
すき焼きの湯気の向こうで、私はずっとその計算をしていた。パートのシフトをあと何増やせば、計にをつけずにあの部を維持できるか。
健の顔など、度も見ちゃいなかった。
『……会社でさ、来から営業の体制が変わるかもしれないんだ』
健が、鍋の豆腐をつつきながら、そう言ったのをいした。
私はスマホの画面をテーブルので指先でなぞりながら、
『へえ、そうなの』
と、返事をした。
健はビールをみ、しを置いて、もう度言った。
『方の営業所を統する話がててね。俺たちの世代も、いろいろ選択を迫られてるんだ』
『変ね。どこもなんでしょ』
私は線すらげず、煮詰まった鍋に昆布汁をした。
そのあとの分。
テレビのバラエティ番組の笑い声だけが響くで、健が箸を置き、じっと私を見ていた。
あのの健の目を、私は見ていなかった。
健は、話したかったのだ。
歳になり、会社でのが揺らぎ、先きの見えないを、連れ添った妻に聞いてほしかったのだ。
それなのに、目のの妻は、ここにあらずの顔で返事を繰り返し、元のスマホを気にしていた。
その妻が、毎週曜に見らぬアパートへ消えていることを、健はすでにっていた。
そして、その妻の線の先にあるのが、自分たちのアパートの更通であることすら、勘づいていたのかもしれない。
健にとって、私はあの瞬に「消えた」のだ。
目のに座って肉をべている女は、自分の妻ではない。
すでに別の所へを移し、いつ自分を捨てるかだけを酷に計算している、名だけの同居。
『妻が曜からいなくなりました』
警察官に告げた健の言葉は、狂言でも何でもなかった。
健にとっては、あのすき焼きの夜、私が完全に彼を切り捨てた瞬だったのだ。
「……私だったんだ」
わず、声が漏れた。
「え?」奈津が顔をげる。
「お父さんを消したのは……私だったのよ、奈津」