みかん小説
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"夫が届出た私の失踪" 第4話

濡れた傘と黄い付箋

夕暮れが迫り、空は濁った鉛に染まり始めていた。

ぽつり、と額にたいものが落ちてきた。だ。

私は傘も持たずに、濡れそぼるアスファルトを踏みしめて自宅へと歩いた。

のはぐちゃぐちゃだった。

ドラッグストアのタイムカード、娘の話、内さんの証言、空っぽの駐輪、そしてドアホンの空の。

断片な現実が組みわさるにつれ、私の胸の奥くに沈めてあったい澱が、黒々と浮きがってくる。

(私は、っている)

私は記憶を失ったわけでも、精神を病んだわけでもない。

曜の夕方、に仕事を終えた私が、どこへったのか。

本当は、最初からっていたのだ。ただ、警察官ので、そして自分自に対して、必に嘘をついていただけだ。

マンションのエレベーターをり、402号のにつ。

鍵を取りし、ドアノブにをかけた。

カチャリと鍵を回してドアを押した瞬、ある異変に気づいた。

鍵が、いていた。

臓が喉元までねがった。

かける、私は絶対に施錠した。棒か? それとも――。

「……健?」

恐る恐るドアを押しける。

にを踏み入れた瞬、微かに湿った匂いがをかすめた。乾きのナイロンと、使い慣れた髪料の匂い。

線を落とした。

靴箱の脇にある傘て。

今朝、私がかけるときには本も入っていなかったその円筒のに、本の黒い折りたたみ傘が突っ込まれていた。

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布にはまだ滴がっており、属の先端からへ、ポタリと滴のが滴り落ちた。

健の傘だ。

持ちの部分に、健が会社のデスクで取り違えないよう貼ったさなテプラの跡がある。

「健! 健、いるの!?」

私は靴を脱ぎ捨てるようにして廊を駆けがった。

リビングのドアを乱暴にける。

「健!」

誰もいなかった。

暗いリビングには、レースのカーテン越しに灯のオレンジのが差し込んでいるだけだった。

寝の引き戸をけ、クローゼットをけ、呂やトイレまで見て回った。

どこにもはない。

静まり返った部には、蔵庫のいブーンという駆音だけが響いていた。

健は、帰ってきたのだ。

私が警察へき、ドラッグストアへき、を彷徨っていたそのに、彼は鍵を使ってこの部に入り、に濡れた傘を置いて、またてったのだ。

なぜ。

どうして顔をわせようとしないのか。私を警察に突きしておいて、なぜ黙って戻り、また消えるのか。

荒い息を吐きながら、私はリビングに戻った。

そこで、ダイニングテーブルのの異変に気がついた。

何もないはずの目のテーブルの、ちょうど真ん。

い蛍灯のを反射して、鮮やかな黄い角形が貼り付いていた。

正方形の、ありふれた付箋だった。

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がすくみそうになるのを堪えながら、私はテーブルにづいた。

そこには、健の几帳面で、し肩がりの見慣れたボールペンの文字が残されていた。

『ただいま』ではなかった。

『どこにっていたんだ』でもなかった。

そこには、ただ、こうかれていた。

『帰ってきたんだな』

文字が、網膜を刺した。

帰ってきたんだな。

それは、夫が妻を迎える言葉ではなかった。

を捨てててったが、戻ってきた現をくから確認したような、淡で、乾ききった観察者の言葉だった。

「……っ」

私は付箋を剥ぎ取ろうとして、指を伸ばした。だが、指先が激しく震えて、の端をうまく掴めない。

付箋の粘着部分がテーブルかられるとき、微かなバリバリという音が静寂を引き裂いた。

健はっていたのだ。

曜の夜だけじゃない。

私がこのから、この活から、定期に姿を消していたことを。

私は付箋を握りしめたまま、ダイニングの子に崩れ落ちた。

両で顔を覆うと、暗ので、あの所の匂いが蘇ってきた。

駅からで駅れた、線沿いの古びた雑居ビル。

その階にある、賃万千円の、畳のワンルーム。

私は浮気をしていたのではない。

犯罪にを染めていたわけでもない。

ただ、ヶから、毎週曜の夕方からまでの、誰にも告げずにその部に籠もっていた。

妻でもなく、母親でもなく、誰の面倒も見る必のない、具もテレビも何もない角い空で、コンビニのおにぎりをべ、ただで息をするためだけに。

健は、それをっていた。

っていて、何も言わず、あの曜の夜、すき焼きの鍋を挟んで私を見ていたのだ。

そして曜の夜、私がその部から戻らないのを見届けて、警察署へき、こう告げたのだ。

『妻が消えました』と。

では、本りになったが窓ガラスを激しく叩き始めていた。

握りしめた付箋が、私の汗でじっとりと湿っていった。

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