"消えた夫と十二時十分の弁当" 第13話
駄箱の革靴
約束の曜、午。
のシャッターはろしたままにしてあった。
夜からり続いていたはがり、濡れた庭の陽から湿ったの匂いがち込めていた。
階の奈央の部からは物音ひとつしない。
今、娘は推薦入試用の志望理由を提するため、いつもよりく登していった。玄関をる際、駄箱の隅に置かれたままの黒い革靴を瞥し、何も言わずに扉を閉めた。
その革靴は、ヶ、修司が曜の朝に脱ぎ捨てていったものだった。
爪先にうっすらとく埃が被り、主を失ったまま、ずっとそこに留まっていた。
分。
カチャリ、と乾いた属音が静寂を破った。
鍵が鍵穴に差し込まれ、ゆっくりと回る。
ギギッと蝶番が軋む音とともに、玄関のドアが数センチいた。
入ってきたのは、修司だった。
「……おはよう」
消え入りそうな声だった。
着ているのは、先週あの非常階段で見かけた汚れたナイロンジャケットではなく、どこかの量販で買ったらしい物のポロシャツだった。無精髭は剃られていたが、頬の肉は落ちたままで、首筋の筋が痛々しく浮きている。
には、畳まれたきなスポーツバッグがつ握られていた。
「がって」
私がく言うと、修司はさく「お邪魔します」と呟いた。
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自分のなのに、のにがり込むような腰の引けた取りだった。駄箱のの自分の革靴を見つめ、瞬だけ痛ましそうに眉をひそめたが、靴を揃えて板のにがった。
居には案内しなかった。
修司もそれを察したのか、無言のまま階段をがり、階の寝へと向かった。
私はを追わず、ダイニングの子に腰をろして、階段を軋ませる夫の音を聞いていた。
タンスの引きしがく音。
ハンガーが擦れうカチャカチャという音。
プラスチックの装ケースがく鈍い音。
かつてなら、私はすぐに階段を駆けがり、「どれ持っていくの?」「物はまだいいんじゃない?」と、甲斐甲斐しく伝っていただろう。夫の好む肌着を選び、さく折りたたんでバッグに詰めてやったはずだ。
だが、指本かさなかった。
彼が自分の活をどうえるのかは、彼自が決めることだった。
分ほどして、そうに膨らんだスポーツバッグを肩に担ぎ、修司が階段をりてきた。
その、玄関のドアが勢いよくいた。
「あ……」
息を切らしてび込んできたのは、奈央だった。
忘れた調査を取りに戻ってきたらしかった。履きを入れる提げ袋を握りしめたまま、奈央の線が、階段の途でち尽くす父親の姿に釘付けになった。
狭い玄関ホールに、張り詰めた沈黙が落ちた。
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「……奈央」
修司が掠れた声で呼びかけ、段りようとした。
奈央は反射に半歩ずさりし、背をドアに打ちつけた。その瞳には、かつて父親に向けていた甘えも憧れもなかった。ただ、得体のれない侵入者を警戒するような、徹なだけが宿っていた。
「……何しに来たの」
「を、しな。……奈央、お父さん、おに……」
「言わないで」
奈央は修司の言葉を遮った。
震える唇を固く引き結び、父親の顔を真正面から見据えた。
「『ごめん』とか『配かけた』とか、今さら言わないで。お父さんが勝に逃げして、全な所でお弁当べてたヶ、私とお母さんがここでどんな顔して息してたか、分かる? 学でも、所でも、みんなってたよ。さんちの旦さんが蒸発したって」
修司は顔を蒼にし、バッグを抱えたまま固まった。
「お父さんは、で辛かったのかもしれないけど……残された側を巻き込んでいい理由にはならないよ。歳でしょ。自分の始末くらい、自分でつけなよ」
奈央は靴を脱ぐこともせず、リビングの棚から封筒をひったくると、度も父親を振り返らずにびしていった。
バタン、と乱暴にドアが閉まる音が、全体を震わせた。
修司は階段の最段に崩れるように腰を落とし、両で顔を覆った。
指の隙から、荒い息が漏れていた。
私はダイニングの子からちがり、彼を見ろす位置にった。
「修司」
夫がゆっくりと顔をげた。その目は涙で真っ赤に充血していた。
「あなたは今、ただ着替えを取りに来たの? それとも、これからの私たちのことを話しに来たの?」
修司は乾いた喉を鳴らし、線をの目に落とした。
「……分からない。何を言えばいいのか、どうやって償えばいいのか……俺には、まだ何も分からないんだ」
「そう」
私は淡に頷いた。
以の私なら、「いいのよ、ゆっくり考えましょう」と包み込んでいただろう。だが、その言葉がこの男から『考える責任』を奪ってきたのだ。
「分からないなら、今はまだ、このにはまないで」
修司の肩がビクッとねた。
「……帰っちゃ、ダメなのか」
「ダメよ」
私ははっきりと告げた。
「あなたがで逃げして、で抱え込んで、私たちを置きりにした事実は消えない。あなたが自分で自分の活をて直して、奈央と私に、のとして向きえるようになるまで、この敷居は跨がせないわ」
修司は唇を噛み締め、やがてさく、絞りすように頷いた。
「……分かった」
彼はいバッグを背負い直すと、度もろを振り返らず、玄関のドアをけててった。