"七年前に死んだ母の退院" 第12話
保証の空欄
病院に戻ったのは、午を回った頃だった。
私はソーシャルワーカーの皆川に、アパートから回収してきた佐々文の帳と実印、そして残がわずか万円ほどしかない農業協同組の通帳を渡した。
「ありがとうございます、様。これで区の緊急保護枠を使った、区のケア付き齢者宅への入所申請がめられます」
皆川は類を素く確認し、クリップボードに挟まれた入所申込を私のに差しした。
「退院はの午です。当は区の福祉両が迎えに来ます。それで……変躾なお願いなのですが」
皆川の指先が、類の最段にある太枠の欄を指した。
『元引受・緊急連絡先』
そこには、氏名、続柄、所、話番号をき込む空欄が、ぽっかりといをけていた。
「政の保護枠ですので、連帯保証は法にはです。ですが、施設側から『夜の急変や、万がの取りの際に、話本だけでも繋がる民の方の連絡先が欲しい』とく望されておりまして。……お名だけでも、お借りすることはできませんでしょうか」
皆川の線には、懇願のが混ざっていた。
話を受けるだけ。名をくだけ。
印鑑を押すわけでも、銭な責任を負うわけでもない。ただの連絡先だ。
ここで私の名をけば、病院側も施設側も胸を撫でろし、すべては円満に収まるだろう。
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しかし、私のの奥には、昨夜の兄の言葉と、義姉のややかな忠告が蘇っていた。
そして何より、あの畳半のちゃぶ台に残されていた、円単位の割り勘のレシートが脳裏に焼き付いていた。
母と文は、決して互いに寄りかかりすぎなかった。お互いの尊厳を守るために、牛乳本の代すら半分に割り、貸し借りを作らずに付きっていたのだ。
もし私がここで「娘だから」「母のりいだから」と易に名をき込めば、私は文を「保護されるべき惨めな者」へと引きずりろし、母が守り通した対等な関係を、から目線の施しで塗りつぶしてしまうことになる。
私はペンをに取らなかった。
「……けません」
私の声は、自分でも驚くほど静かだった。
「私は佐々文さんの族ではありません。母の友であったとしても、母の関係を私がそのまま相続する義務はありません。緊急連絡先が必なら、区が提携している権利擁護センターの民見制度を使ってください。費用がするなら、本のの範囲内で続きをしてください」
皆川は目を見張り、それからさく息を呑んでをげた。
「……失礼いたしました。様のおっしゃる通りです。こちらの甘えでした。法な続きに則り、政の成見窓と連携してめます」
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続きを終え、私は最に度だけ、階の病を訪れた。
引き戸を静かにけると、病にはが斜めに差し込んでいた。
佐々文は、ベッドの背もたれに体を預け、ぼんやりと窓のの茜の空を見つめていた。点滴の管はされ、拘束具のミトンもされていた。
音に気づき、文がゆっくりとこちらを向いた。
その瞳には、昨夜のような暗い狂気も、混濁したもなかった。ただ、く沈んだ、静かな理性のが戻っていた。
文の線が、私のスーツの袖から覗く、赤黒く鬱血した首へと落ちた。
老はさく息を吸い、それから痛ましそうに眉を寄せた。
「……痛かったでしょう」
掠れた、しかしはっきりとした声だった。
「あざに、なっちゃって。……悪かったわねえ、痛いいをさせて」
「佐々さん」
文は々しく首を横に振った。その顔には、昨の「枝さん」と縋り付いてきた面はどこにもなかった。
「……わかってるのよ。本当はね、ずっとからわかってたの」
文は自分の痩せ細った膝のに目を落とした。
「あのが、もうどこにもいないことくらい。曜の午になっても、階段の音が聞こえないんだもの。も経てば、誰だってわかるわよ。……ただね、それを声にして認めてしまったら、私がきてきたまで全部、嘘っぱちになっちゃうような気がしてね」
が、文の髪を黄に染めげていた。
「すみませんでした、さん。……あなたは、あの子じゃないのにね」
枝さんでも、真紀ちゃんでもない。
佐々文は、初めて私をの独したとして――「さん」と呼んだ。
そのたく、礼儀正しい距が、昨夜のどんな狂乱の叫びよりもく、私の胸の奥を刺し貫いた。
退院のは、の朝だった。