"七年前に死んだ母の退院" 第8話
の待
「佐々さん、私の目を見てください」
私はを乗りし、文の濁した瞳をまっすぐに見つめた。逃げしたい衝を、喉の奥に無理やり押し込める。
「え……?」
「母は、来ません」
病の空気が、急激にえ込んだ。
「迎えには来られません。……母、枝は、にくなりました」
文の表が止まった。
目も瞬かず、いたもそのままに、まるでが凍りついたかのように私の顔を見つめている。
「の朝でした。自宅で倒れて、くも膜血でした。病院に運ばれたには、もう識はありませんでした。お葬式もして、葬もして、お骨はお寺のお墓に入っています」
私は語語、正確に、を交えずに言葉を紡いだ。残酷であることは分かっていた。だが、これが現実だった。
「母はもう、この世のどこにもいません。から、ずっといないんです」
静まり返った病に、点滴の落ちる微かな音だけが響いていた。
文の瞳が、かすかに揺れた。
「……うそ」
「嘘じゃありません」
「嘘よ……だって、先週も……カレンダーの丸を……」
文はミトンをつけたを胸元に押し当て、呼吸を乱し始めた。モニターのアラームは鳴らないが、彼女の枯れ枝のような喉仏が激しくしている。
「枝さんが……んだ……? そんなはずないじゃない……。だって、私に何も言わないで……あんなに元気だったのに……」
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声で泣き叫ぶわけではなかった。
涙すらなかった。
文の体から、目に見えない空気がぷつりと抜け、輪郭が内側に向かって崩れていくようだった。背骨から力が抜け、ベッドのマットレスにく沈み込んでいく。
「……いつ?」
絞りすような、掠れた問いだった。
「平成の、です」
「……」
文は井のい吸音パネルを虚ろに見つめた。その瞳に、夕暮れのが斜めに差し込み、濁ったガラス玉のようにった。
「……。私、も……誰も来ない部で、で待ってたの?」
その言のみに、私は息が詰まった。
母がんでからの。
私にとっては、仕事をこなし、昇し、母のいない活に慣れ、自分の常を当たりに積みねてきただった。
だが、このにとっては違ったのだ。
訪れるはずのない曜を数え、カレンダーをめくり、いつかドアを叩くはずの音にを澄ませ続けただったのだ。政のミスで名が混ざり、自分の輪郭が曖昧になっていくで、唯の錨のように「枝さんが迎えに来る」という記憶だけに縋り付いてきたのだ。
「佐々さん……」
私がを伸ばしかけた、そのだった。
文の線が、ゆっくりと井からりてきて、私を捉えた。
その目を見た瞬、私の全の毛穴が逆った。
正気の目ではなかった。
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く、暗い混濁が、再び彼女の瞳をみ込んでいた。
「……あ」
文が、ミトンを脱ぎ捨てようと暴れ、拘束具の隙から剥きしになった骨ばったで、私の首を鷲掴みにした。
たい。氷のようにたく、異常な力だった。
「枝さん……? 枝さんなのね?」
「え……? 違います、私は……」
「枝さん! どこってたのよ! 探したのよ、ずっと待ってたのよ!」
文の顔が、恐怖と堵の入り混じった異様な笑みに歪んだ。しわくちゃのが私のスーツの袖をく引き寄せる。爪が皮膚にい込み、痛みがった。
「置いていかないで……! 枝さん、もう私をにしないで……!」
「放してください! 私は枝じゃありません! 真紀です! 娘の真紀です!」
私は鳴にい声をげ、文のを振り払おうとした。
だが、老の指はまるで錆びた鉄の万力のように、私の首にい込んでれなかった。
「枝さん……枝さん……」
暗い病に、老の狂おしい呼び声が霊した。
んだはずの母親の霊が、目のの老の皮膚を突き破って、私を引きずり込もうとしているようだった。
首の痛みと、代わりを押し付けられる激しい拒絶が、私の全を震わせていた。
(私は、母じゃない)
夕が、病の窓を完全に塗りつぶそうとしていた。
退院期限まで、あと。