"七年前に死んだ母の退院" 第2話
病の椎茸
部病院は、駅からバスで分ほど揺られた宅の端にあった。
築はらないであろうコンクリートの建物は、どんよりとした曇り空ので煤けて見えた。消毒液と、配膳から漂う煮魚の匂いが混ざりった独特の空気の、私はエレベーターで階へがった。
ナースステーションで名乗ると、先ほど話をかけてきた井という護師がりで現れた。柄で、鏡の奥の目を気まずそうに泳がせている。
「わざわざお越しいただき、申し訳ありません。あの……ご本と直接お話しされますか?」
「ええ。そのために来ましたから」
私はバッグの底に入れた母の除籍謄本と、自分の運転免許証の触を確かめた。警察を呼ぶことになってもいいように、会社をるに区役所で類を取り寄せてきていた。なりすましなら、そので突きすつもりだった。
井護師に案内されたのは、廊の突き当たりにある部だった。
引き戸を静かにける。昼がりの病は暗く、カーテンの隙から差し込むのに微細な埃が漂っていた。窓際のベッド――ネームプレートには確かに、黒いマジックで『枝様』とかれていた。
ベッドのに、さなが腰掛けていた。
私は息を呑み、元を止めた。
そこにいたのは、私の母ではなかった。
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当たりだ。母はに荼毘に付されている。だが、それにしても違いすぎた。
私の母、枝は、若い頃から骨太で背がく、たぶのきな丸顔の女だった。を過ぎても声がきく、所でも目つタイプだった。
しかし、ベッドの端に腰掛けている老は、まるで乾いた枝のように痩せこけていた。背は丸まり、髪混じりのパーマは伸び放題で、首筋にはい皺が何にも刻まれている。齢は代半だろうか。顔の造作のどこを探しても、私のる母の面は微もなかった。
(やっぱり、違いだ)
堵と、苛ちが同に湧きがった。ただの病院側の杜撰なミスか、認症の老がの名を騙っているだけだ。私はナースステーションに戻ろうと、踵を返しかけた。
ベッドのスプリングが、ギィとさく軋んだ。
老が、ゆっくりと首をこちらに向けた。
内障のせいかし濁した瞳が、病の暗がりので私を捉えた。老はさく瞬きを繰り返し、乾いた唇をわずかにいた。
「……真紀ちゃん?」
私のが、リノリウムのに縫い付けられた。
「さんの娘さん」でも、「真紀さん」でもない。幼い頃、所のたちや親戚が私を呼んでいた通りのイントネーションで、その老は私の名を呼んだのだ。
「あの……私をごなんですか」
私は努めて事務な声をそうとしたが、喉の奥が引き攣れた。
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老は元に置かれたい毛布を細い指先で撫でながら、どこか困ったような、力のない笑みを浮かべた。
「ってるも何も……。真紀ちゃん、あなた、まだ椎茸嫌いなの?」
を桶で背にぶちまけられたような衝撃がった。
「え……?」
「すき焼きの、いっつも鍋の端っこに寄せてたじゃない。お肉のが移るから嫌だって言って。ふふ、られたわよねえ、儀が悪いって」
病の空気が止まった。
それは、私と母のでしか交わされないはずの、あまりにも常で、あまりにも個な記憶だった。
学の頃、がですき焼きをするたび、私は母にられていた。椎茸の汁が牛肉に移るのができず、割りの端に椎茸を箸で押しやっては、母から「真紀はになっても椎茸だけはべられないねえ」と笑われていたのだ。兄ですら覚えていないような、取るにらない庭の景。
なぜ、この見ずらずの老がそれをっているのか。
「あなた……誰ですか」
私の声は震えていた。
「私の母は、ににました。あなたは、誰なんですか」
老は私の問いかけに答える代わりに、ただ議そうに首を傾げた。その瞳には悪も、何かを企むもなく、ただ夕暮れののようない混濁が広がっているだけだった。
「……誰って。枝よ。私、枝じゃないの」
老は自分の胸に骨ばったを当て、消え入りそうな声でそう呟いた。