"今回は、探さない" 第9話
「もくか」という問い
キッチンから、汁の優しいりが漂っていた。
私は何も言わず、温かい素うどんの丼をテーブルに置いた。
刻んだ青ネギと、すりおろした姜、それにしだけかすを散らしただけの、ごく簡素な夜だ。
隣に、いほうじ茶を添える。
「……べられる?」
達也は顔を覆っていたをゆっくりとろした。
目の周りは赤く腫れ、頬はにくすんでいた。
かつての、糊の効いたワイシャツを着て胸を張っていた課の姿は、どこにもなかった。
ただ、たいとにまみれ、自分のささに打ちのめされた、歳のの男がそこにいた。
達也は震えるで割り箸を割った。
パチン、というさな音が、静まり返った部に落ちる。
うどんをすすり、夫は目を閉じた。
喉を通る温かさに、張っていた首筋の筋肉がわずかに緩むのがわかった。
い湯気が、達也の疲れ果てた顔を包み込んでいく。
私は向かいの子を引いて、腰をろした。
「すごいね」
私の言葉に、達也がぴくりと箸を止めた。
信じられないものを見るような目で、私を見つめてくる。
馬鹿にされたとったのかもしれない。
「何がすごいんだよ。契約ゼロで、若造に罵倒されて帰ってきただけだぞ」
「途で投げさずに、最まで配りきったんでしょ」
私は達也の赤く腫れた指先を見つめた。
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「あなた、プライドがいから、鳴られた瞬に類を投げつけて帰ってくるかとってた。でも、だらけになって、最までやって、報告をいて帰ってきた。それは、あなたが自分ので稼いだだよ」
達也の瞳が揺れた。
何かを言い返そうとして、を半きにしたまま、言葉を見失っているようだった。
慰めるつもりはなかった。
佐野の求の締め切りは、あとに迫っている。
庭の預残も、確実に減り続けている。
現実は何つ好転していないし、払いの派遣営業で稼げる額など、宅ローンのしにもならない。
それでも――達也は今、まれて初めて、誰の助けも借りずにのにを踏み入れたのだ。
壁の計の針が、チクタクと定のリズムでを刻んでいた。
達也は再びうどんに線を落とし、無言で麺を啜り続けた。
汁をすべてみ干し、丼を置いたとき、達也の呼吸はいくぶん落ち着いていた。
私はちがり、空になった丼を片付けようとを伸ばした。
そして、何気ない調で、ひとつの問いを投げかけた。
「も、くの?」
その問いが落ちた瞬、部の空気がピンと張り詰めた。
甘い逃げはいくらでもある。
「もう分頑張ったから、は休みなさい」と言ってあげることもできた。
「やっぱり佐野に頼もうか」
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と、持ちのカードを切ってやることもできた。
そうすれば、達也は、あのたいにかずに済む。
歳の若者に罵倒されることもない。
達也は両をテーブルのに置き、じっと俯いた。
秒。
秒。
秒。
計の秒針の音だけが、障りなほどきく響く。
達也の指先が、テーブルの目をく引っ掻くように握りこまれた。
度、く息を吸い込み、吐きす。
そして、顔をげた。
その瞳の奥にあったのは、絶望でも、傲さでもなかった。
自分の元に広がるのさをっただけが持つ、鈍く、けれど確かなだった。
「……くよ」
掠れた、だが決してさくはない声だった。
「も、ってくる」
私は息を呑み、それから、さく頷いた。
「そう。の朝、に起こすね」
私は丼を持ってキッチンへと向かった。
蛇をひねると、たいがシンクに音をてて流れ落ちた。
私ののには、まだ佐野の会社の求票が眠っている。
締め切りまで、あとし。
けれど、夫の背に向けられた私の線は、昨までとは確実に違っていた。