"新婦母の席札" 第16話
誰かの嫌と珈琲
結婚式から週が過ぎた、の終わりの曜。
朝のがリビングのフローリングを淡く照らし、部のには炒りたてのコーヒー豆のばしい匂いが漂っていた。
キッチンでは、信夫が慣れないつきでドリップポットを傾け、湯気をちらせている。
「お父さん、優から写真届いたわよ」
私がダイニングテーブルから声をかけると、信夫がエプロン姿のまま振り返った。
「お、婚旅のか? どこだっけ、だっけ」
「そう。オホーツクをバックにで笑ってる。寒そうだけど、すごく楽しそう」
スマートフォンに送られてきた写真をスクロールしながら、私は目を細めた。
娘はしいを、自分ので力く歩み始めている。
その、リビングのサイドボードに置かれた私のスマートフォンが、く震えた。
画面が点灯する。
『佐藤美津子』
画面に浮かびがった文字を見て、私の指先が瞬だけ止まった。
式の以来、義母からの連絡は途絶えていた。親戚からの話も切鳴らなくなっていた。
週ぶりの着信。
私はく息を吸い込み、通話ボタンをスライドさせてに当てた。
「はい、佐藤です」
私の声は、自分でもするほど自然だった。
『……優ちゃんから、お菓子が届いたわ』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、し掠れた、以よりもく乾いた義母の声だった。
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圧な響きはれ、どこかい所から響いているような質だった。
「そうですか。のお産ですね。無事に届いて良かったです」
『ええ。ハッカの入ったラングドシャね。甘すぎて、私のにはわないけれど』
義母は相変わらず、素直に謝をにすることはなかった。
だが、その毒気は以のように私の皮膚を突き破ることはなかった。ただの、老いた女性のがりにしか聞こえなかった。
い沈黙が流れた。
かつての私なら、この沈黙に耐えかねて、「何かにお困りのことはありませんか」とを挟んでいたはずだ。
だが私は、黙って次の言葉を待った。
やがて、美津子が咳払いをつして、昔の調子を取り戻そうとするように言った。
『……それでね、来週の曜は、お父さんの命でしょう。回忌の法を実でやるから。親戚もほど集まるのよ』
「はい」
『あんた、朝のに来なさい。お寺さんが来るにお茶しの準備をして、仕しの弁当の受け取りもしなきゃいけないんだから。いつものように、台所を仕切りなさい』
命令調だった。
「嫁」としての役割を再び押し付けることで、崩れた関係を元に戻そうとする、義母の最のあがきだった。
昔の私なら、即座に帳をき、「はい、わかりました。に伺います」と答えていただろう。
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私はテーブルのに置かれた卓カレンダーに目をやった。
来週の曜には、々から楽しみにしていた民講座の「季節のフラワーアレンジメント教」の予定が入っていた。午からは、代の友と久しぶりに会う約束もある。
私はカレンダーから線を戻し、受話器に向かって穏やかに言った。
「来週の曜は、午に予定が入っております」
話の向こうの空気が、ピシリと凍りつくのが分かった。
『……は? 予定って、何の予定よ。お父さんの回忌なのよ?』
「はい。ですから、法が始まるにわせて実へ伺います。お経をあげていただくほど参列させていただきますね」
『ちょっと、綾子さん! 親戚へのお茶しはどうするのよ! 私にやらせる気⁉︎』
義母の声に、気と焦りが混じり始めた。
だが、私は眉つかさなかった。
「お茶しやお弁当の配は、子叔母様や、本の皆様で分担していただけますでしょうか。それでは、当のに伺います。失礼いたします」
『ちょ、待ちなさ――』
私は通話終ボタンを静かにタップした。
スマートフォンの画面が暗転し、リビングに柔らかな静寂が戻ってきた。
臓はしだけく鼓していたが、はまったく震えていなかった。
罪悪も、恐怖もなかった。
「……母さんからか?」
信夫が、つのマグカップをトレイに乗せてリビングへ戻ってきた。
夫は私の顔を覗き込み、し配そうに眉尻をげた。
「ってたか?」
私は差しされた温かいマグカップを両で包み込んだ。
ちる湯気が、先をくすぐる。
「たぶんね」
私が微笑みながらそう答えると、信夫は瞬ぽかんとした顔をし、やがてふっと吹きすように笑った。
「そうか。……なら、いいや」
信夫は私の向かい側の席に腰をろし、自分の珈琲にをつけた。
「うまいな、今の豆」
「そうね。すごくりがいい」
窓のでは、晩の澄み切った青空がどこまでも広がっていた。
義母は今頃、世田の実で受話器を握りしめ、顔を真っ赤にしてっているかもしれない。子叔母に話をかけて、私の悪をまくしてているかもしれない。
けれど、それはもう、私の問題ではなかった。
誰かが私の決断によって嫌になることを、私はもう恐れない。
そして、その嫌を解消するために、自分のを差しすことも度とない。
私は温かい珈琲をゆっくりと喉へと流し込んだ。
ほろ苦さのに広がるい甘みが、私の体とを、芯から温めていくのをじていた。