"薬を忘れて戻ると、「歩けない」夫が立っていた" 第14話
築数は古いが、向きの窓からは柔らかな陽がたっぷりと注ぎ込み、無垢材のフローリングのに美しいの角形を描いている。部のには、佐織が自らのと与で買い揃えた、お気に入りの欧具と、みずみずしい観葉植物が静かに息づいていた。
誰かの嫌なため息に怯えることもない。
誰かの「痛い」という芝居がかった呻き声に胃を痛めることもない。
い子をトランクに積み込むために汚れることのない、真っなウールのニットにを包み、佐織は静かに文庫本の頁をめくっていた。
先週、梶原弁護士から最終な報告が届いていた。
健太には懲役ヶ、執猶予の罪判決が言い渡されたという。初犯であり、実がを担保にして被害弁済の部をったことが考慮された結果だった。しかし、商社を懲戒解雇され、業界内に背任の科がれ渡った今、彼が以のような待遇で社会復帰することは絶望だった。現は実に戻り、運送会社の仕分け倉庫で、痛む腰を抱えながら夜勤のアルバイトを始めているとの噂で聞いた。
もう、子に乗せて甘やかしてくれるは、この世界のどこにもしない。
彼が真に自し、自らので罪を償いながらきていくのか、それとも再び誰かの善にすがりつこうとして破滅するのか——それはもう、佐織のとは何の関係もない、彼自の課題だった。
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ピンポン、と軽やかなインターホンの音が鳴った。
佐織がドアをけると、そこには学代からの親友である絵里が、袋を両に抱えてっていた。
「佐織! 居祝い、ワインとチーズ買ってきたよ!」
「絵里、寒かったでしょう。入って」
かなリビングに迎え入れると、絵里は部を見渡し、嘆の声をげた。
「うわあ……すごく素敵。当たりもいいし、何より空気が澄んでる。のにったにじてた、あの変な苦しさが嘘みたい」
「そうね。私も、やっと自分の呼吸ができるようになった気がするわ」
キッチンでグラスをつ用し、赤ワインを注ぎう。
カランとグラスが触れう音が、静かな部によく響いた。
「本当にお疲れ様、佐織。変だったね」絵里は真剣な差しで佐織を見つめた。「でも、あなたがあの、すりガラスの向こうでち止まって、引き返したのがすべての始まりだったのよね。あそこでに鳴り込んでたら、きっと耶無耶に丸め込まれて、今でもあの親子の奴隷をやっていたかもしれない」
「ええ……本当にそううわ」
佐織はワイングラスの脚を指先で回しながら、静かに微笑んだ。
「あの、私をかしたのはりじゃなかったの。自分が信じて注いできたものが、ただのゴミのように扱われていたことへの……尊厳の防本能だった。
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夫婦だからって、族だからって、無条件にすべてを差ししていいわけじゃない。相の領域を侵さず、自分の境界線を守ること……それができない関係は、ただの共依でしかないのよね」
「かっこいいよ、佐織は」
絵里が微笑み、はのない況報告や、に予定している温泉旅の計画へと話題を移していった。
午がまり、夕が並みを茜に染めげていく。
絵里を見送った、佐織はコートを羽織り、所の川沿いの遊歩へと散歩にかけた。
たい夕がコートの襟を揺らし、枯れのから夕焼け空が燃えるように広がっている。遊歩をるランナーや、犬の散歩をする老夫婦とすれ違う。誰もが、それぞれので、それぞれのみを支えながら、を向いて歩いていた。
佐織はち止まり、く息を吸い込んだ。
肺の奥まで満たすの空気は、痛いほどたく、そしてどこまでも清らかだった。
あの、磨りガラスの向こうで夫がちがった瞬、私のは度完全に砕け散った。
けれど、砕け散ったからこそ、私はることができたのだ。
ので歩かせることはできない。
そして、自分ののみは、誰にも肩代わりさせてはならないのだと。
佐織は両をポケットからし、しっかりと面を踏みしめた。
がく、の空へと伸びていく。
その取りは、誰に寄りかかることもなく、誰を背負うこともなく、どこまでも軽やかに、未来へと向かって続いていた。