"解雇された職人が未明に餡を練る" 第6話
私の呼びかけに、作業台のにつ健太さんがびくりと肩をねさせた。
「あ、ああ……すまない、今やる、すぐやるから」
健太さんの声はかすれ、指先は真っなにまみれていた。 丸めた求肥(ぎゅうひ)のに、朝のうちに藤子さんが仕込んでいったあの完璧な漉し餡を包む作業。職なら数秒でつの美しい球体に仕てる程を、健太さんは脂汗を滲ませながら、つあたり秒以かけてこねくり回していた。
際が悪いだけではない。触りすぎたは体温でだれ、せっかくの滑らかな餡の輪郭を崩してしまう。
「……健太」
に、そろばんの音が止まった。 帳から子さんのく、の乗らない声がぶ。
「その個、売り物にはなりません。げなさい」
健太さんのがピタリと止まった。
「母さん、でも、これくらいなら箱に詰めれば分からないよ。は変わらないんだから――」
「うちの菓子を買いに来ているお客様はね、舌だけでわっているんじゃないよ」
子さんは帳からちがり、作業の入りまで歩いてくると、息子の元をややかに見ろした。
「指先の迷いも、焦りも、格好な歪みも、全部お客様の目に映るんだ。そんなみっともない細を周の折に詰めるくらいなら、簾をろした方がまだましです」
「……っ」
健太さんは奥歯を噛み締め、両を握りしめた。
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にまみれた拳が、微かに震えている。 彼は何も言い返さなかった。ただ、歪んだ形の菓子を乱暴にプラスチックの番へと放り投げ、再びしいへとを伸ばした。
その横顔には、菓子作りに対するなど片も見当たらなかった。 あるのは、いつ声がんでくるかに怯える子供のような怯懦と、逃げを失ったの絶望だけだった。
私はいたたまれなくなり、注文の伝票を握りしめたまま、作業のを見つめるしかなかった。
藤子さんが姿を消して、まだしか経っていない。 それなのに、かけて積みげられてきたこのの空気が、音をてて軋み始めているのが痛いほど分かった。
あのの営業が終わったのは、夜の半を過ぎていた。
「本の仕込み分、全て完売です」
私がそう告げると、健太さんは作業台に両をついたまま、くい息を吐きした。腰が抜けたようにそのにしゃがみ込み、エプロンで顔を覆っている。
子さんは売を庫に収めると、いつものように淡々と言った。
「美咲さん、は午からの勤でいいよ。午は健太にで餡を練らせるから」
「で……ですか?」
私はわず健太さんを見た。健太さんはを見つめたまま、微かに首を振っている。 藤子さんが夜けに残していった餡は、今の営業で綺麗に底をついた。
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のをけるためには、今夜のうちに豆を浸させ、の未から以かけて巨な鍋と格闘しなければならない。それを、まだで通し煮をしたこともない健太さんにやらせるというのか。
「奥様、私も伝います。の番くらいなら――」
「素がで鍋を覗き込んだところで、焦げ付きが防げるわけじゃないよ」
子さんは私の言葉をたく遮った。
「自分でちがれなきゃ、跡取りなんて名乗る資格はないんだ。……帰りなさい」
拒絶の言葉に、これ以いがることはできなかった。 私はい取りで勝をた。
え切った夜の空気を吸い込みながら、私は自転を押して歩いた。 のを巡るのは、健太さんの怯えた瞳と、帳で氷のように佇む子さんの姿、そして昨夜、静かにへと消えていった藤子さんの背だった。
『奥様はね、度にしたことを引っ込めるじゃないの』
藤子さんのあの諦めきった声が、の奥で蘇る。 本当にこのままでいいのだろうか。 藤子さんが追いされ、健太さんが潰れ、が壊れていくのを、入りの私だからと黙って見届けることなんて、どうしてもできなかった。
私はペダルにをかけ、自宅とは反対の方向へとハンドルを切った。
従業員名簿にかれていた藤子さんの所を頼りに、商を抜け、川沿いの古い宅へと向かった。