"息子の捜索地図を消す男" 第10話
そして、その奥から、かすかに漂ってくる消毒液の匂い。 軽トラックのにあったものと、同じ薬品の匂いだった。
「野寺さん……? 拓くん……?」
私は靴を脱がずに、に歩を踏み入れた。 磨きげられたのが暗いを反射している。 廊の突き当たりには、介護用のポータブルトイレと、すりが設置されているのが見えた。
玄関の脇にある駄箱のに、線を落とした。
そこには、几帳面に並べられた野寺さんの革靴と、濡れた靴。 そして、しれた所に、でひどく汚れた用のスニーカーが、脱ぎ捨てられていた。 いスニーカーの側面に、赤黒いがべっとりとこびりついている。 あの旧堤の粘だ。
その、奥の暗から、コソリと微かな物音がした。
何かが擦れるような音。 の気配。
「……誰ですか」
奥の障子の隙から、掠れた若い声が漏れた。
音がづいてくる。 おぼつかない、引きずるような取りだった。 やがて、廊の暗がりから、ひとりのが姿を現した。
――拓くんだろう。 背はいが、異様なほど痩せていた。 のスウェットのを着て、髪は乱れ、顔は気に濁っている。 目のには濃い隈が張り付き、唇は血の気を失ってくひび割れていた。
だが、私の目を釘付けにしたのは、彼の顔ではなかった。
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彼がに突きしている、両腕だった。
首から肘にかけて、痛々しいほど何にも、い包帯が巻かれていた。 その隙から、赤黒い擦り傷と、黄い消毒液の染みが覗いている。 まるで、いアスファルトのを激しい勢いで滑り落ちたかのような――。
「……あの、おじいちゃんは、今……」
拓くんは私を見て、怯えたようにずさりした。 その目は、ただの発で寝込んでいるの目ではなかった。 何かに追い詰められ、恐怖に震えがっている者の目だった。
「……拓くん、だよね」
私は歩、をんだ。 自分の声が、信じられないほどく、震えているのがわかった。
「その腕……どうしたの?」
拓くんの喉が、ひくりといた。 彼は包帯の巻かれたを、咄嗟にろへ隠そうとした。
「なんでも、ないです……転んだだけです……おじいちゃんに用なら、公民館に……」
言葉を遮るように、私の線が、彼の駄箱の隅へと滑り落ちた。
暗い玄関の片隅。 鍵や印鑑を置くための、さな製のトレイの横。
そこに、転がっていた。
のひらサイズの、黄いプラスチック。 自のライトを反射するように作られた、クマの形をした防犯マスコット。
角が削れ、アスファルトで擦られたような無数の傷がついていた。 そして、についていたはずののボールチェーンは、無理やり引きちぎられたように根元から千切れている。
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悠が、学に入学した。 交通全教で配られ、「かっこいいから」と、青いランドセルの側面に自分で誇らしげにぶらげていたマスコット。
毎朝、玄関をるたびに、カチカチと音をてて揺れていた、あのマスコットだった。
血の気が引いていくのがわかった。 の指先から覚が消え、界の縁が真っ暗になる。
「……あ」
拓くんが、私の線に気づいた。
彼の瞳が、絶望なに染まった。 息を呑む音が、静まり返った玄関に引き裂かれるように響く。
私は震えるを伸ばし、に置かれたその黄いクマを指差した。
「これ……」
声が、喉から引き剥がされるようにた。
「これ、悠の……悠の、ランドセルについていたものよ」
拓くんは歩、歩とずさりし、廊の壁に背を激突させた。 その呼吸は乱れ、包帯の巻かれた両が刻みに震えている。
「なんで……」
私は彼を見げた。 涙すらなかった。 ただ、燃え盛るようなたい炎が、胸の底から気に吹きがっていた。
「なんで、あなたがこれを持っているの?」
拓くんはをパクパクとかしたが、声はなかった。 壁に押し当てられた彼の背が、ガタガタと音をてて震えている。
その、背の扉が、ギィとい音をてていた。
じゃり、と砂利を踏む、ゆっくりとした、聞き慣れた音。
私は振り返らなかった。
振り返らなくても、誰がそこにっているのか、肌を刺すような気配で分かっていた。