"母が残した最後の住所" 第9話
祖父は学費をすべてすと言ったが、事故の補償にはをつけず、朝倉からしてもらったは就職しずつ返すと決めた。祖父は「孫の学費くらいさせろ」とったが、俺も母の子なので、その辺りだけは譲らなかった。
学の期休暇には朝倉醸造のいろいろな部署で働いた。倉庫、配送、社員堂、清掃、麹。祖父は「会社へ来い」と度も言わなかったが、俺自がこの会社をもっとりたいとうようになっていた。
配送では堀内さんについて、20軒以の商や堂を回った。
「からた点じゃ、これはまだただの商品だ」
を運転しながら堀内さんは言った。
「の棚に置いてもらって、買ったが飯に使って、初めてうちの醤油になる」
麹ではさんに何度も鳴られた。
「扉をくけるな。温度が逃げる。麹は械じゃないんやぞ」
い菌に覆われた米を眺めながら、さんは「毎顔を見て、嫌を聞く。それでやっと噌になる」と教えてくれた。
祖父が昔言った。
「噌は待つものだ」
という言葉のが、そのようやく分かった。
も似ていた。
無理やりく結論をそうとすれば。
どこかで歪む。
母と祖父は、待ちすぎたのだ。
逆に。
待つだけで自分からこうともしなかった。
その両方を見た俺は。
待つことと伝えることのにあるものを、考えるようになった。
広告
学卒業。
俺は朝倉醸造へ入社した。
名字は真野のままにした。
最初の配属は営業だった。
祖父の孫だとる取引先もいたが、注文を取れなければ普通に断られた。伝票を違えれば叱られ、納品が遅れればをげた。
入社4目。
昔から取引しているさな堂が資難になった。
「半だけ待ってくれないか」
主がをげた。
俺は司へ相談せず。
「待ちます」
と答えた。
翌、当然叱られた。
夜。
祖父へその話をすると。
「そうか」
とだけ言った。
「らないんですか」
「払わんかったら、おの料から引く」
「ひどいな」
祖父はし笑った。
そのはかけて全部払った。
今も朝倉醸造の醤油を使っている。
俺が30歳を過ぎた頃、会社はきな選択を迫られた。量販向けの量発注を受ける代わりに、昔ながらの麹を閉め、部からい麹を仕入れる計画がた。数字だけを見れば、その方が利益は増える。
叔父の俊彦は以から、その案を主張していた。
「社員200を守るには、昔のやり方だけじゃ無理だ」
言っていることは分かる。
祖父も否定しなかった。
けれど。
さんが俺を麹へ呼んだ。
壁も柱も、いの発酵で独特のりが染みついている。
「ここをなくしたら、朝倉の名は残る。でも朝倉のは残らん」
さんはそう言った。
俺は悩んだ。
伝統を守るという言葉だけなら簡単だ。
広告
それで会社が傾き、社員が職を失えばがない。
俺は半かけて別の案を作った。
量産品は設備で作る。
方、昔の麹と桶は残し、期熟成の商品を別のブランドとして売る。
価格はくなる。
売れなければ失敗する。
祖父へ計画を見せると、く黙って読んだ。
最に。
「やってみろ」
と言った。
最初の商品名を決める会議で。
俺はつだけ提案した。
《仕込み》
母がをた。
祖父が荷物を送り続けた。
をるは。
俺と祖父と沼田だけだった。
俺が34歳の、朝倉醸造の社が交代することになった。祖父は84歳になり、数の病気以は経営から徐々にれていた。叔父は系列会社へ移っていたため、取締役会では俺の名が継候補として挙がった。
最初は断った。
「俺より経験のいはいくらでもいます」
祖父は何も言わなかった。
代わりにさんがった。
「いだけで社になれるなら、わしがやるわ」
「さんがやってくださいよ」
「嫌や。面倒や」
堀内さんも笑った。
「みんな社になりたくないから、おに押しつけてるんだよ」
もちろん、そんな単純な話ではない。
俺は何週も悩んだ。
最にいしたのは。
14歳のあのだった。
母をくした俺は。
く所がなかった。
伯母のから追い返され。
アパートもなければならず。
自分のがどこにもつながっていないようにえた。
その、母が残した所を頼りに坂をがった。