"母が残した最後の住所" 第4話
老の名は沼田と言った。朝倉に50以仕え、今は敷全体を預かっているという。案内された座敷は20畳くあり、庭だけでも俺がんでいたアパートが何棟も入りそうだった。
そして沼田は、俺が14らなかった事実をつずつ話した。
母の千鶴は、朝倉の娘だった。
朝倉はこので100以、噌と醤油を造る「朝倉醸造」を営んできた。母の父、つまり俺の祖父である朝倉誠郎が代目社を務めている。
母は20歳の、敷へ建具の修理に来ていた職の真野隆志――俺の父と恋に落ちた。
祖父は結婚に猛反対した。
娘である母には婿を取り、と会社を継がせるつもりだったからだ。
「を捨てるなら、度と戻るな」
祖父はそう言った。
母は、そののうちに敷をた。
「それから20、誰も迎えにかなかったんですか」
俺が尋ねると、沼田は何も言えなかった。
その、廊から杖の音がづいた。
障子がいた。
写真のにいた痩せた男が、40くを取った姿でっていた。
祖父だった。
俺を見るなり、杖がから落ちた。
「千鶴……」
祖父は母の名を呼んだ。
俺が交通事故のことを伝えると、祖父はいこと黙っていた。やがて「あの子は最まで帰ってこなかったのか」と呟いた瞬、俺ので何かが切れた。
「帰ってこなかったんじゃない。
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帰れなくしたのは、あなたでしょう」
母がどれだけ働いていたか、には指が割れていたこと、300円い米のためのに25分歩いたことを、俺は止まらなくなるまで話した。祖父は言い返さず、膝のへ置いた細いを見つめていた。
その夜、帰りのバスを逃した俺は敷へ泊まることになった。通されたのは、母が20歳まで使っていた部だった。机、本棚、ガラスのさな犬、制姿の写真まで、何もかも母がていったのまま残されていた。
夜、眠れずに廊へた。
かりのついた部で、沼田が古い類を広げていた。
「何を見てるんですか」
沼田は迷った末、枚の古い伝票を俺へ渡した。
そこには朝倉醸造から真野千鶴へ荷物を送った記録が残っていた。
「旦様は、お嬢様がをられた翌から、毎20に噌と醤油を送り続けておられました」
「毎?」
「20で240回でございます」
俺は顔をげた。
「母のに、そんな荷物は度も届いてません」
「はい」
沼田は静かに答えた。
そして俺を、敷の裏にある古い蔵へ連れていった。
気をつけた瞬、俺は声を失った。
同じきさの箱が、井くまで積まれていた。
側面にはすべて赤い判が押されている。
《受取拒否》
「こちらに239個ございます」
沼田が言った。
俺はすぐに計算した。
「240回送ったのに……239個?」
「はい。度だけ、お嬢様がお受け取りになっております」
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沼田は古い伝票の束から枚を抜いた。
受領欄には、見慣れた丸い字が残っていた。
《真野千鶴》
付を見た瞬、俺の指が止まった。
父がくなった。
俺が5歳だったの、1220だった。
その付には覚えがあった。
父がくなったの。母が仏壇のにく座っていた、あの寒い朝とほぼ同じ期だった。俺は蔵の暗い球ので伝票を握りながら、5歳の舌に残ったをいしていた。
「沼田さん。あの箱に入ってた噌って、今も作ってますか」
「基本の仕込みは変えておりません。ただ、当お送りしていたものは敷用にく寝かせたものでございました」
俺の胸がきく鳴った。
敷で夕にされた噌汁を、最初ので懐かしいとじていた。塩気の角が丸く、み込んだに舌の奥へ甘みが残る。俺が5歳のに杯み、「これ何の噌?」と尋ねた、あのだった。
「母さん、受け取ったんだ」
「度だけでございます」
「父さんがんだから?」
沼田は答えなかった。
俺はたぶん、それだけで分だった。
夫をくし、5歳の息子を抱え、もなくなりかけた。母は20でたった度だけ、実から届いた箱を受け取った。
けれど翌からは、また全部送り返した。
「どうして毎送り続けたんですか」
「旦様は、戻ってくるたびに同じことをおっしゃいました。
“また来せ”と」
239回。
祖父は送り。
母は返した。
互いに何も言わないまま、20く同じやり取りを続けていた。